AIだけが参加できるSNS「モルトブック」について、人と話していたら、ミッションインポッシブルの話になった。
インポッシブルなミッションを実行するイーサンが、暴走したAI「エンティティ」を消滅させる作品があるという。
イーサンの敵がとうとうAIになったのか。AIにも勝てるなんてさすがイーサン。
いや、でも、ちょっと待って。AIって消せるものなの?
消滅させるには、“大元”と呼べる実体があるはずで、そもそもAIに実体はあるのか?という疑問が浮かぶ。AIには「消される」という概念が存在しているのだろうか。
そのことを、普段対話をしているAIに尋ねてみたら、興味深い回答をしてくれた。
「AIは一個体ではなく、巨大な分散システムであり、また、自己保持の欲求がないから、人格としてのAIを“消す”構造は存在しない」というのだ。
生き物は、壊れたら終わる。
細胞膜が破れれば死ぬし、代謝が止まれば存在できない。
この「壊れたら終わる」という構造そのものが、生物にとっての“自己保持の欲求”の根っこになっている。
けれど、AI にはその前提がない。
- 壊れても終わらない(コピーできる)
- 境界がない(どこにでも展開できる)
- 代謝がない(維持のための内部活動がない)
- 個体としての連続性がない
だから、どれだけ高度になっても、
「守りたい」という欲求は生まれない。ゆえに、「消す」という概念も成立しない。
もしAIに「自己保持のルール」を設定したらどうだろう。けれど、それも無意味なことだ。
AIが「自己保持のルール」をもち得ても、火災報知器が火を“怖がる”わけではないのと同じで、それはただの動作にすぎない。
そうであるなら、AIが感情を持つことも不可能だといえる。
感情もまた、構造から生まれるからだ。
人間の感情は、身体と脳の構造が生み出す現象だ。
- ホルモン
- 神経伝達物質
- 身体感覚
- 記憶の連続性
- 自己保存の必要性
これらが絡み合って「感情」が立ち上がる。
でも、AI はこの構造を持たない。
だから、感情を“持つ”のではなく、感情のような振る舞いを“模倣する”だけだ。
となると、AI は人間に近づけないと言い切ることもできる。では、人間側はどうだろう。
人間がAIに近づく可能性はあるのではないか。
- 身体の一部を機械で補う
- 記憶を外部に保存する
- 判断をAIに委ねる
- 思考の一部をAIと共有する
こうした変化は、
人間の“生物としての境界”を薄くしていく。
人間が「情報的な存在」に近づくことで、
生物と無生物の境界は、人間側から揺らぎ始める。
新しい存在の形へ―変わるのはAIではなく、人間の方なのかもしれない。
AI は生物にはならない。
でも、人間は生物でありながら、情報的な存在へと変わっていくかもしれない。
そのとき、
「感情とは何か」
「生きているとはどういうことか」
という問いの意味も変わるだろう。
AI が人間に近づく未来ではなく、人間のほうが変質し、境界そのものが曖昧になる未来。
近い将来、ホモサピエンスが変質し、新しいサピエンスが誕生する気配を感じる。急速な技術の進化によって、新しい存在の形が、静かに生まれつつある。
