日々の食事は基本的に自分で作る。
食べさせなければならない子どもがいるからでもあるし、出来合いのご飯は自分好みではないことも多いからだ。何を食べるかで、翌日の肌の状態が違ってくるのも、だんだん分かってきた。必要な栄養を、よりよい状態で取りたいと思う。
その一方で、ずっと続く家事にうんざりもしていて、作らずに買うようになったものも増えてきた。味噌やパンなんかがそうだ。魚も切り身や下処理したものしか買わなくなった。どこまで手作りするのかは、自分の好みで決めればいい。やりたくないことは極力省いていきたい。ただでさえ、毎日の家事に振り回されているのだから。
食事に関する悩みで、年々深まっていることがある。
それは、「人前で食べたくない」ということだ。
小中高と、昼食は必ず誰かと食べていた。それが当たり前だったし、1人で食べるなんて考えもしなかった。夜ご飯も必ず家族が一緒だった。朝ごはんは準備ができた人からそれぞれ食べていたけれど、基本的に誰かと一緒に食事をするのが当たり前だった。
大学生になって一人暮らしを始めてからは、1人の食事が増えた。自分の好きなタイミングで、自分の好みの食事をもくもくと取ることに馴染むのに、そんなに時間はいらなかった。一人の食事は寂しさよりも、気楽さの方が勝っていた。一人暮らしの家から大学までが、自転車で10分くらいだったから、お昼ご飯は一度家に帰って食べることも多かった。貧乏学生の私は、節約するために学食はほとんど利用しなかった。
誘われれば食事に出かけることもあったが、なんとなく人前で食べるのが億劫になりだした。
例えば、お好み焼き。その上にかけられた青のりを、歯に付着せずに食べ終えるという自信は全くない。
ミートソースパスタ。あのテラテラしたソースを口の端につけずに食べ続ける術を知らない。
焼き鳥や焼き肉。奥歯に肉片を挟まずに食べ終えられたことがない。
うどんやラーメン。もれなく鼻水があふれ出す。
大皿料理。ちょうどいい配分で取り分けるのは至難の業だ。取りすぎもダメ。残すのもダメ。自分のペースで食べられない。
いい感じだった人と食事に行ったとき、相手の歯に何かが付いているのを発見したときは、必死に見ないふりをした。人間だから、食べたら何かが付着するかもしれないことは分かっている。相手に落ち度はないはずだ。明日は我が身かもしれない。でも、それが気持ちの冷めるきっかけになってしまった。
誰かと食事に行けば、会話をしないわけにはいかないから、食事に集中できない。話を盛り上げつつ、相手の心の動きに注意しながらする食事は、口の中を噛んでしまったりして、食事を存分に味わうことが難しい。だから、帰ってから何かをもう一度食べたくなる。
どうせなら、1人で食べたい。あるいは、家で食べたい。
その傾向が年々強まっている。以前は、ランチや飲み会に誘われれば喜んで参加していたが、今はあんまり喜べない。年をとると面倒くさい人間になるのだろうか。いや、体の機能が衰えてくることが原因なのかもしれない。
たとえば視野の狭さ。昔より視野が狭くなった実感がある。取りたいものを取り損なう。あるいは、飲み込む力の衰え。ふいに、食道ではなく気管へ水分や固形物が入り込むことが増えてきた。歯肉が痩せてくる。歯肉が痩せれば、歯に隙間が増える。何か食べれば、何かが詰まる。
肩の力を抜いて、美しく食べられる人が羨ましい。そうでない私は、今日も一人で食べることを選択してしまう。