否定したい、されたくない


否定されるのが得意ではない。

もちろん、否定されたら受け入れることはできる。人の意見を無視して生きていくことはできないし、社会の中で暮らす以上、他者の声に耳を傾けることは必要だと理解している。

でも、できることなら否定されないように生きていきたいと思う。否定の言葉は、小さな棘のように心に残るからだ。

成長はしたいし、自分を高めたいけれど、その成長の種は自分で見つけたい。誰かに「それは違う」と突きつけられて芽を出すのではなく、自分の中で静かに探し、育てたい。

それなのに、私は否定してくる人に目を付けられやすい。私の言葉や態度が、そうした人の目に留まりやすいのだろう。出る杭は打たれやすいから、目立つ行動を避けるように生きているはずなのに。

いや、もしかしたら、人は皆、誰かを否定せずには生きていけない生き物なのかもしれない。

生き残るためには、他者を否定し生存競争を勝ち抜いていかなくてはならないのだろうか。それは、生きていく上で必要な要素なのだろか。

世間は広いから否定されたい人もいるだろう。でも、絶対的に否定されたくない人の方が多いはずだ。誰だって、肯定され認められることを望んでいる。そうでなければ、SNSも「いいね」ボタンも生まれるはずがない。

人は、安心するために、自分の立場を守るために、相手を試すために、指導するために、あるいは単純に癖で、人を否定する。「いや」という単語を使った経験は誰にだってあるはずだ。

それでも思う。

誰かを否定したくなる気持ちを、消し去れたらいいのに。誰もが、嫌な気持ちをしなくていい世界であればいいのに。そんな、簡単そうなことが一番難しい。