クリームパンはクリームパンの顔をしている


クリームパンを食べようとしたとき、ふと「これって本当にクリームパンだったっけ」と確かめたくなった。
見た目はそうなのに、なぜか不安になった。
中に何が入っているかの予想したうえで、食べものを口に運びたいのだなと思う。
味覚は想像に裏打ちされた感覚だ。

食べるという行為は、ただ口に入れるだけではない。
見た目、匂い、記憶、期待──それらが重なって、味覚が立ち上がる。
たとえば、カスタードだと思って食べたものが白あんだったら、味そのものよりも「違った」という感覚が強く残る。
味覚は「想像の裏付け」を求めている。


この前、「炭火焼き鳥パン」というものを食べた。
名前の通り、パンの中に炭火焼き鳥が入っている。
「炭火焼き鳥」と「パン」の組み合わせがどうしても結びつかなかったからか、パンのやわらかさと、焼き鳥の香ばしさが、最後まで噛み合わなかった。
口に入れるたびに、「これは違う」と思ってしまう。
味そのものが不味いというより、想像と現実がずれていることが、不味さを生んでいる気がした。

思えば、パンにはそれぞれ、ある程度決まった「顔のルール」がある。
クリームパンなら、つるんとした皮。
あんパンは、真ん中が凹んでいたり、黒ゴマが乗っていたりする。
カレーパンは、楕円か丸くて、ごつごつした表面。
それらは、食べる前に味の想像を促してくれる。
顔が分かるから、安心して口に運びその味を受け入れる準備ができる。

炭火焼き鳥パンには、その「顔」がなかった。
見た目は普通のパンなのに、口の中で焼き鳥が現れる。
そのギャップが、味覚の違和感を生んでいたのかもしれない。

当たり前だが食べたことのないものは、その味を想像できない。
だから、美味しく感じにくいのかもしれない。
子どもに好き嫌いが多いのは、味蕾の発達だけでなく味の記憶がまだ少ないからだ。
経験が少ないぶん、想像の幅も狭く、未知の味を受け入れる準備ができていない。
でも、少しずつ食べてみることで、味の記憶が増え、想像力が育ち、美味しく食べられるものの種類が増えていく。

味覚は、身体だけでなく、記憶と予想と確認に支えられた感覚だ。
食べる前に、すでに味は始まっている。
そして、想像と一致したとき、私たちは「おいしい」と感じるのかもしれない。