言葉の手ざわりー「かわいい」と「すごい」の間


下ろしたての服を着ていたら褒められた。
「かわいいー」と何度も言ってもらえて、素直に嬉しかった。
年齢を重ねても、こんなふうに褒められることが嬉しいなら、私も誰かをそんな気持ちにしたい。

でも、ふと考える。
「かわいい」は嬉しいけれど、「すごい」と言われると、時々嫌だなと思うことがある。
どちらも褒め言葉なのに、どうしてこんなに違うのだろう。

着ている服に対する「かわいい」は刹那的だ。
その瞬間の印象や雰囲気に対する感情で、持続させなくてはいけないというプレッシャーが少ない。
だから、気軽に受け取ることができる。

一方で「すごい」は、何かを超えているという評価の響きを持つ。
その状態を保たなくてはいけないような、見えない重さを感じることがある。
「すごいね」と言われると、望んでいない評価を受け取ってしまったような気持ちになることがある。


「目的をもった学習は自分を強くする。」
「学習のことだけは自分で決めるべきだ。何のために、何を学習するかということだけは絶対に譲らないでほしい」
「他の人に学習の目的を委ねていては自己肯定感は一生上がらない」

この言葉を思い出したとき、「すごい」と言われて違和感を覚える理由が少しわかった気がした。
誰かの基準で評価されることに、私はどこかで抗っているのかもしれない。
自分の学びや選択の目的は、自分で決めたい。
だからこそ、外からの「すごい」が、時に自分の輪郭を曇らせてしまう。

嬉しかったのは、褒められたこともあるけれど、
その瞬間の私の存在を、まるごと認めてもらえたことなのかもしれない。

私も誰かに、そんなふうに言葉を届けたい。
相手の存在をそっと肯定するような、やさしい褒め方をできる人になりたいと思う。