大人になってからの友達


小中学生のころ、クラスのほとんどの子を「友達」と呼んでいた。
同じ時間に登校して、同じ給食を食べて、同じような悩みを抱えていた。
名前を呼び合い、同じ授業を受け、休み時間を共に過ごす。
「友達」という言葉は、軽やかで、広く使えるものだった。

高校生のころは、クラスの中で昼ご飯を一緒に食べる子、同じ志をもって勉強を共にする子、よく話す子たちを友達と呼んでいた。

大学に入ってから、少しずつその輪郭が変わっていった。
専攻やアルバイトが同じ子のうち、年齢に関係なく出かけることがある子を「友達」と呼んだ。同じ集団に属していても、気楽に友達と呼ぶには躊躇することが増えた。

そして大人になってからは、境遇の違いが重要事項になっていった。
結婚している人、子どもがいる人、働いている人、介護をしている人。
境遇の違いによって、話題に出来ることと出来ないことが生まれる。

結婚していない人に、夫や義母の愚痴は言えない。
子どものいない人に、出産や子育ての大変さを話すわけにはいかない。
働いていない人に、働くことの大変さを伝えることが嫌味や自慢にならないか気になる。
そんなふうに会話のテンポや話題の選び方に、少しずつズレが生まれ、気を遣う付き合い方になってしまう。
知り合って出かけることがあっても、そのすべてを「友達」と呼ぶ気楽さがなくなった。

それでも、大人になってから「友達」と呼べる人が一人できた。
すべての境遇が同じわけではないけれど、気安く話せる相手だ。
好きなバンドのライブに一緒に行けること、お互い連絡魔ではないこと、適当に話しても気にならないこと。そのことが自分の中では大きいのかもしれない。

今の私には「友達」と呼べる人は5人くらいしかいない。
昔のように、数は気にならなくなった。頻繁に会おうとする必要性も感じない。
大人には、集団で活動するような場がないからだろう。

友だちに関していえば、大人は気楽なのである。