帰り道、歩道を変なステップで歩いている中学生を見かけた。何かの遊びかと思ったら、歩道が黄色く染まっている。
どうやら、ぎんなんの実を避けて歩いているようだった。
猛烈な暑さが和らぎ、季節は秋を迎えたらしい。朝晩は肌寒くなった。
ぎんなんの実の強烈な匂いに、思わず顔をしかめる気持ちはよくわかる。けれど私は、あの実に少し特別な思い出がある。
通っていた小学校には、大きなイチョウの木があった。本当に大きな木で、秋になると校庭にぎんなんの実が大量に落ちてきた。
誰が始めたのかは分からないが、あの頃「ぎんなん笛」を作るのが流行っていた。
まずは果肉を木の枝や石でこすって取り除き、種をきれいに洗う。
きれいになった硬い種の先端を、コンクリートや石にこすりつけて直径5ミリほどの穴をあけ、中身を取り出して乾燥させる。
ただ、それだけ。それだけで笛になった。
不思議なことに、強烈だったはずのぎんなんの臭いはほとんど記憶に残っていない。
ただ、種の硬さだけはよく覚えている。小さく手もちにくい種を削るのはなかなか大変で、手が痛くなっていたと思う。
ぎんなんの種で作った笛は簡単には音が鳴らない。作るまでも一苦労、鳴らすのも一苦労。ちゃんと音を鳴らせるかどうかを競い合っていた。
うまく鳴らせると、「ブホー」とした音がなりちょっとした達成感がある。
手作り笛の材料は他にもあって、「ピーピー草」と呼んでいた草(先端の穂先を引き抜いて笛にする)、カラスノエンドウの実(中の種を取り除き、両端をちぎって笛にする)ツバキなどの硬めの葉(くるくる巻いて、片端をつぶす)も笛になった。
どれも簡単には鳴らない。笛に加工する技術も必要だし、息の吹き込み方にもコツがいる。ツバキなどの葉➡カラスノエンドウの実➡ピーピー草の順に鳴らす難易度が高かったが、それも人によった。
そんなことを考えていて思い出した本がある。
昭和四十八年に出版された『おもちゃの作り方』の文庫版。絵が昭和的なのがいい。ここにあるような手の込んだおもちゃはあまり作らなかったけれど、確かに何かしら作って遊んでいたなぁと懐かしくなる。
ゲーム機器やスマホがなかったあの時代、私たちはみな器用で、想像力豊かだった。
落ちている実や草を見て、「これで何か作れるかもしれない」「これでどう遊ぼうか」と考えるのが当たり前だった。いつの間にか知っていた共通の遊び方のある草花も思い出す。
ぎんなんの匂いに顔をしかめる中学生を見ながら、ふとそんなことを考えた。
あの頃の私たちは、手を動かし工夫しながら、音を鳴らすことに夢中だったな。「何の役に立つの」とか「何の意味があるの」なんて言わなかった。「無用の用」と「無意味の意味」が満ちていた。
ぎんなんの実を見ると、あの小さな笛の音が耳の奥で鳴る気がする。