本がなかったらどうしていただろう


幼馴染の子どもが交通事故で亡くなったという知らせを受けてから、心が沈んだまま、何をどうすればいいのか分からなくなっている。誰かに話したいが、気軽に話題に出来る内容でもないし、誰かを同じ悲しみにひきずりこむようで、深刻な顔をして話すわけにはいかないと思う。

知らされた状況がよく飲み込めず、別の幼馴染に連絡したらまだそのことを知らなくて、二人してどうしようもない思いを深めてしまった。でも、思いを共有できる人がいてくれて、救われもした。

悲しみや不安がぬぐえないとき、私は本に触れたくなる。図書館や本屋さんでふと手に取った一冊の本が、今の私に必要な言葉を持ってきてくれることがこれまで何度もあった。まるでその本が、私のためにそこにいてくれたように感じてきた。

「グリーフケア」という言葉を初めて知る。死別は誰にだって訪れるけれど、同じものは一つもない。死別によって生じた悲しみや怒りは、何一つ間違った感情じゃなく、否定せず受け入れていい。

大人になると、誰にでも簡単に相談できない事柄が増えていく。そんなとき、私を助けてくれるのはいつも本だった。

不思議なもので、必要な本は向こうからやってくる。偶然のようでいて、偶然ではない。ユング心理学では、こうした「意味のある偶然」を「シンクロニシティ(共時性)」と呼ぶらしい。たとえば、心の中で抱えていた問いに、まったく別の場所から答えが届くような瞬間。誰かの言葉、本の一節、風景の中の何かが、そっと応えてくれる。

最近では、物理学の一部でも「思考が電気信号のように働いて、関係ある事柄を引き寄せる」という説が語られることがあるようだ。科学的に証明されたわけではないけれど、私たちの意識が世界と響き合っているという感覚は、確かに存在する気がしている。

本を読む習慣があるからこそ、私は何度も助けられてきた。もし読書の習慣がなかったら、きっともっと苦しい時間を過ごしていただろう。言葉に触れることで、自分の気持ちを整理できたり、誰にも言えない思いをそっと受け止めてもらえたりする。

そうやって、今日も本に助けられている。