断る理由がなかったから


頻繁に連絡を取るわけではない同僚からLINEがきた。開く前に厄介な内容かもしれないと嫌な予感がした。

境遇が似ているから(年齢が近く同性で、結婚して同じ年ごろの子どもがいる)顔を合わせれば話すことはある。

職場の席が近い(席は年ごとに移動することがある)ときは、世間話を長々とすることもあるが、プライベートで出かけたことはない。そんな同僚。

たまに、びっくりするようなお願いをされることがあって、(「プランターでトマトを育てられる量の畑の土を譲って」と2回言われたときが一番困った。土は有限の資源だし、運ぶのも重たく憂鬱だ)価値観が違うのだなとうすうす感じていた相手だった。

LINEは「小学校が休日の土曜日に、どうしても行かねばならない用事があり、小2の子どもを預かってほしい」との連絡だった。

嫌だな、という気持ちがまず湧いた。

プライベートで付き合いがないのだから、小2のお子さんに会ったことはない。我が家はその同僚の家から車で1時間ほどの距離だ。朝早く、小2の子を同僚の家の近くまで迎えに行き、我が家に連れて帰らなければならず、往復2時間の移動になる予定で、少し憂鬱だ。

我が家の2匹の猫は人見知りで、加えて預かる予定の子は動物が苦手らしい。猫の負担にならないか心配である。

私の子どもは一番下でさえ中学生だから、小学生の扱いはもう覚えていない。正直、休日はのんびりしていたいから、面倒なお願いだ。

でも、誰も頼る人がいなかったから私に連絡してきたのだろう。その日は、一応用事はあったが、行かないことも選択できる用事だったので引き受けると返事をした。

だって、断る理由がなかったから。

引き受けると決めたあと、なんとなく開いた小説にその言葉があった。『断る理由がなかったから』ーーまるで、私の選択を先回りして肯定してくれたようで、すこしだけ面白くなる。

長い海外暮らしから帰国した友人、その友人の住むところが決まるまで、住まわせることになった民子。その民子の気持ちと、自分の気持ちが重なる。まるで、自分が肯定されたみたいだ。

厄介なお願いはできれば断りたいが、受け入れられないこともない。相手が困っていることが明らかな場合はなおさらだ。明確な理由がないと断ることが難しい。

それは優しさなのか、惰性なのか、社会的な責任感なのか、なんと名前をつければいい感情なのだろう。

頼る側は「最後の手段」として連絡してきたのかもしれない。頼られたことで「選ばれた」という自負も生まれてしまう。

「民子」の気持ちと重なったのは単なる偶然だ。けれど、偶然にしては少しできすぎている気もする。

ーー断る理由がなかった。

それもまた、十分な理由なのかもしれない。