ふと、「好み」って不思議だなと思う。
人それぞれ、惹かれるものが違う。外見、声、話し方、ふるまい——何に心が動くかは、説明しきれない偏りがあって、それがまた面白い。
私の「好みのタイプは?」と聞かれたら、Aoooのドラムのツミキさん、と小さな声で答えたい。
どれくらい好みかというと、身近にいなくてよかったと思うほど。映像を見ているだけで、体温が上がるような気がして、なんだか落ち着かなくなる。だから、大きな声では言えない。自分の内側をさらけ出すみたいで、ちょっと恥ずかしい。
「好み」は人だけに限らない。音楽、映画、本、風景、香り——あらゆるものに、好みはひそんでいる。
それは単なる個性ではなく、記憶と経験の積み重ねが形づくったものなのかもしれない。
それを時に不思議に感じ、その多様性によって社会は成り立つんだなと思うことがある。
あらゆることの専門家が世の中にはいる。その専門家の多くが研究対象を好ましく感じている事実に、静かに感動を覚える。世界は豊かで、だからこそ私もここにいていいのだと思わせてくれる。
でもそんなことを感じなくても、とにかく新しい研究の成果が興味深い。読んでいてずっと楽しい本だった。
幼い頃に安心した声の調子、憧れた人のふるまい、何気なく触れた風景——そうした記憶が、知らないうちに今の「惹かれるもの」の輪郭を描いていく。
好みは過去に心が動いた痕跡が集まってできた、無意識の肖像画だといえるだろう。
この肖像画は、静かに、でも確かに変化していく。
新しい出会いや経験によって、少しずつ塗り替えられたり、思いがけない色が加わったりする。
かつて惹かれなかったものに心が動くようになるのは、記憶の構成が変わった証でもある。
もちろん、文化や社会の影響もある。
美しさの基準や魅力の定義は、時代や地域によって変わるし、それが個人の好みにも影響を与える。
でも、そうした外側の要因を超えて、内側にある「記憶の肖像画」が、選好の核になっている気がする。
好みが人によって異なるのは、誰もが異なる記憶を持ち、異なる人生を歩んできたからだ。
その違いこそが、人間の多様性を生み出している。
好みって、過去の記憶が今の感覚にそっと触れてくる、そんな静かな証なのかもしれない。