身近だったムシ


枕草子には、こんな一行がある。

八月ばかりになれば、「ちちよ。ちちよ。」とはかなげに鳴く。いみじうあはれなり。

鬼の子であるミノムシが、秋になれば帰ると言った親を思って「鳴く」というのだ。 ミノムシは鬼の子ではないし、実際には鳴かないけれど、秋の静けさの中でミノムシの気配を感じ取る感性が、 千年前の文章の中に確かに息づいている面白さがある。

驚いたのは、授業でこの部分を扱ったとき、ミノムシを知らない子がいたことだ。
昔に比べると、ミノムシの数は減っていて、見かけることが確かに少なくなった。
それでも、我が家のブルーベリーでは毎年のようにミノムシを見つける。

幼虫が身体の周りに衣服をまとうように生息しているミノムシは、もうそれだけで子どもの興味をそそるはずで、みな当たり前のように知っているものだと思っていた。

自然と乖離した生活を送っているんだな、ミノムシ知らずに大人になるのか、この子らの子どもの世代になったら、もっとムシのことを知らずに生きる人間が増えるのだな、と思って、念のため、我が家の末っ子に聞いたら
「ミノムシ?なんのこと?」と言われてしまった。

実物を見せたら、「ああ、それね」と言ってはいたけれど、馴染みがあるかと言われたら、やっぱり馴染みはないのだろう。

ムシ全般に言えることだが、ミノムシは本当に数が減っていると思う。
かつては、季節の風景の一部だった存在が、静かに姿を消しつつある。

ミノムシを見かける我が家の庭も、同じ状況にある。
庭で見つけるミノムシは、 蓑の先端に小さな穴が開いているものばかりだ。
寄生バチが内部の幼虫を食べ、成虫になって出ていった痕跡。
ミノムシの減少には、この寄生バチの影響が大きいと言われている。 寄生率が九割を超える地域もあるほどだという。

それでも、ブルーベリーの木には毎年ミノムシが現れる。 寄生されても、すべてが死ぬわけではないのだ。 わずかに生き残った個体が、次の年へ命をつないでいる。 庭が、ミノムシにとっての小さな「生き残りの島」になっているのかもしれない。

枕草子のミノムシの静けさと、 現代の庭で見つけるミノムシの「穴の開いた蓑」。 千年の時間をまたいで、自然の中の小さな命の物語が、 重なって見える気がした。


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