身を守るのは面倒だ


きっかけは、知らない番号に出てしまったことだ。

出たとたん、「○○さんの電話番号ですか?」と聞かれ、あっていたのでつい「はい」と答えてしまった。続けて言われた内容には全く心当たりがなかったため、曖昧に返事を返したらブツッと電話が切られた。調べてみると、こちらの名前を確認し、ある程度の音声を集めるためにかけてきた電話のようだった。

すぐに着信拒否をしたが、相手は電話番号なんていくらでも用意しているだろうから、知らない番号にはできるだけでないようにするしかない。でも、知らない人からかかってくる本当に必要な電話がないわけじゃない。全く出ないようにするのは、不可能だ。その後1週間、自動音声の怪しい電話が2度かかってきた。大した効果はないかもしれないが、1つずつ着信拒否と迷惑電話報告をする以外はなさそうだ。

そんなことがあってすぐ、今度はカードの不正利用が発覚した。使ったこともないネットショッピングサイトからの利用速報が届く。カードの即時利用通知をオンにしていたから、すぐにおかしいと気付けた。こちらはカードを停止し、作り直すことに。しばらくそのカードは使えないし、新しくなったらなったで、登録変更をいろんな相手にしなければならない。なんて、面倒な作業だろう。

便利になるのはありがたい。でも、便利になればなるほど、身を守るための作業は増えていく。休日の貴重な時間が、調べたり問い合わせたり登録したり、そんな作業に奪われてしまう。自分の身は自分で守るしかないのだと痛感する。

でも、身を守るための方法は複雑で、全部を把握するのは難しい。情報は多すぎて、どこまで気を配ればいいのか分からなくなる。便利さと煩雑さが同時に押し寄せてくるのが、今の社会の矛盾だと思う。

ただ平凡に生きたいだけなのに、それが難しい。働いて給料をもらうだけでは老後の蓄えは足りず、資産運用を考えなければならない。進化するデジタル社会に追いつくために知識を蓄える必要もある。しかも、足元をすくわれないように全方向に気を配りながら生きなければならない。平凡さは、もはや贅沢になりつつある。

誰かの役にたってこそのやりがいのはずなのに、人の稼ぎをくすねる人は、何にやりがいを感じているのだろう。

今の世の中は倫理の空洞が広がっている世の中だという。フーコーが言うように「権力は外からの暴力ではなく、内面化された規律として作用する」から、私たちは誰に命令されるでもなく、自分で沈黙し、自分で自分を守ることを強いられる。考えなければならないことが多すぎて、それを放棄したい世の中では、アーレントが指摘した「思考の不在」が日常化してしまい、倫理は空洞化し、悪は平凡な顔をして広がっていく。個人主義はありがたいが、共同体が失われれば当然、共同体的倫理も失われていくことになる。

どんどん、知らぬ間に、気づかぬ間に、身の回りの危険が増えていく。

これからそれが、どこまで肥大化するのだろう。考えるとゾッとする。あまりに急速に便利になってしまったのだ。どんどん進化するこの世の複雑さを、いったい誰が把握し尽くせるというのか。平凡でありたい私は、それに立ち向かえる気がしない。