枯れ葉が好き


気付いたときには「枯れ葉」が好きだった。枯れ葉には「落ち葉」も含まれる。

どのくらいの好きかというと、「あれば確認したくなるくらいに」だ。進行方向に枯れた雑草があれば、触ってその手触りを確かめてしまう。落ち葉が道路わきにあればその上を踏みしめてみる。

紅葉した落ち葉には、特に心惹かれる。子どもの頃から、モミジやイチョウをよく持ち帰っていた。紅葉した葉には、その瞬間しかない美しさがある。今日の色合いは今日しか味わえない。その時のその色合いをつぶさに観察したい気持ちが高じて、小学生の頃には「ハゼ負け」になったことがある。

ハゼの葉は紅葉すると見事な赤に染まり、すらっとした葉を地面に落とす。きれいな葉を拾って、魚拓のように葉拓を取るつもりだった。ハゼの葉を丁寧に持ち帰り、紙の上に置き、さらに紙を被せ鉛筆でなぞったのをうっすらと覚えている。確かあれは、通信学習教材の付録についていたキットが、葉拓を取るためのものだったからそうしたのだ。

小学5年生だっただろうか。あの時の私はハゼという名前も知らず、当然それでかぶれることも知らなかった。ハゼの持つ「ウルシオール」によって、木の下を通っただけでもかぶれる人もいるという。そんな葉を素手で触り観察したのだから、かぶれるのは当たり前だ。しかし、なぜだろう。「ウルシオール」に一番触れたであろう両手ではなく、両頬にブツブツができでしばらく治らなかった。学校も数日休んだ記憶があるから、よっぽどひどいかぶれ方だったはずだ。

でも、覚えているのは、痒みではなく「油揚げ」のことだ。

ハゼ負けを治すために、私は油揚げを食べさせられた。かぶれた頬に油揚げをこすりつけ、それを炭火であぶりそのまま食べるという治療法?だった。当時、母親は病院事務員として働いており、学校を休むことになった私は、母の職場で一日を過ごした。その日、母の仕事が終わるのを待っていた休憩部屋で、味のしない油揚げを食べたことを覚えている。

油揚げでかぶれを治すのが一般的でなかったのは、子どもの私でも分かっていた。あの不思議な民間療法は、いったいどこから得た情報だったのだろう。母が思いついたのか、母の同僚がそうさせたのかは覚えていない。もしかしたら、そんな情報があるかもとネットで検索してみたが、それらしい情報には出会わなかった。馬油を塗る対策はあったから、油揚げの油で保護する意味合いがあったのだろうか。

油揚げは恐らく効果がなかったと思うが、2週間ほどでハゼまけの症状は治まったと思う。

それにしてもなぜ、こんなに枯れ葉が好きなのだろう。

みずみずしい状態の草木ももちろん好きだが、それ以上に、枯れたものに惹かれる理由はなんだろう。

でも、枯れてればいいというわけでもないのだ。除草剤で枯らされた葉にはちっとも魅力を感じない。枯らされた葉は少しも美しくない。そこには命のリレーが存在し得ないからだ。

あるべき時に枯れた葉は、命の不思議を感じさせる。枯れた植物たちは、たとえ枯れても季節がめぐれば再び青々と茂りだす。枯れるからこそ養分が蓄えられ、次の命が育まれる。

降り積もった落ち葉は、次の命を育てるためのふかふかの掛布団に見え、暖かな気持ちになる。立ち枯れの葉は、季節がめぐるのを静かに耐え忍ぶ佇まいをしていて、見れば気が引き締まる。

そうか、私は枯れ葉に励まされるのかもしれない。次の季節に向け、静かに準備をするその姿に。

今年も庭に、丸まったモミジがたくさん敷き詰められている。時折、鳥の影がその上を通過する。シロハラがやってきては落ち葉をはねのけてムシを探している。風に吹かれて落ち葉が動き、それをネコは面白そうに眺めている。