春は自律神経が乱れやすい。
乱れる原因はいろいろあるが、私の場合は「花粉症」が大いに関係しているようだ。
花粉症が自律神経を乱す理由はいくつかある。
・アレルギー反応そのものが交感神経を刺激すること
・鼻づまりで呼吸が浅くなり交感神経が優位になること
・上咽頭の炎症が自律神経を刺激し、自律神経のスイッチが乱れやすくなること
・鼻づまりで眠りが浅くなり、自律神経の回復が追い付かないこと
だから春になると、軽いめまいと動悸に悩まされる。
自律神経を整える方法はいろいろあるが、「ハグは自律神経を整える」らしい。
でもそもそも私には、ハグの習慣がない。
その上、夫とのハグは遠慮したいし、子どもももう大きいから寄ってくることはない。
私には、ハグをする相手がいない。
それでも、ハグという行為が少し気になっている。
なぜなら、ハグは自分と相手の身体の境界線を、一瞬だけ重ね合わせる行為だからだ。それは相手を受け入れる動作であり、やさしさにつながる行為だと思う。
それを考えると、ハグはやさしさの象徴なのに、ハグをする文化圏の国でも争いがあるのが不思議に思えてくる。
考えてみると、「人にやさしくしましょう」というときの“人”は、実はとても狭い範囲を指している場合が多い。自分の身近な人、自分と価値観が近い人、自分の共同体に属する人、そんな人たちを指しているようだ。
やさしさは普遍的なようで、実際には“内側”に向けられることが多いものである。
だからハグをする文化があっても、外側に対しては暴力を起こすことがあるのだろう。やさしさは共同体の内側に向かいやすく、「やさしさ」と「暴力」は、同じ社会で同居してしまう。
私は、できれば全てにやさしくありたい。
でも、現実にはそうはいかない。
自分の生を守りたいから、自分の内側以外に、時にはやさしくなれないこともある。それでも、やさしくありたいという願いは手放したくない。
身体に境界線があるように、他者への思いやりにも境界線がある。
その境界線を否定するのではなく、「仕方ない」と受け止めながら、少しずつ可動域を広げていけたらいい。
そんなことを考えていたとき、ふと気づいた。
私にはネコがいる。
ネコを抱っこすると、胸や腕にやさしい重みがかかり、体温が伝わる。その瞬間、私は確かに“安心”を感じている。
ネコはなでているだけでも幸せをくれるのに、ゴロゴロという低周波まで分けてくれる。
あの音は本当に不思議で、身体の奥がゆるむような感覚がある。
ネコを抱くことは、人間同士のハグと同じように、いや、もしかしたらそれ以上に、私の境界線をやわらかくしてくれる。
「ハグする相手を今から探すのは難しい」
そう思ったけれど、私はすでに“ハグのようなもの”を日常に持っていた。
ネコのおかげで、私の身体の境界線は少しゆるめられ、やさしさの可動域が広がる。春の不調も和らぐ。
人間相手でなくても、やさしさは育つ。
むしろ、ネコのような安全な存在との関係のほうが、無理なく自然に広がっていくのかもしれない。
私は、全部にやさしくなれない。
でも、やさしくありたいという願いは持ち続けたい。
やさしさは、大きな行為ではなく、こういう小さな身体の経験から少しずつ育っていく。
