何かを始めるとき「3日坊主」という言葉がよく引き合いに出される。
始めたことをどれくらい続けられるのか、3日以上続けることがきない人を「3日坊主」というのである。当然、良い意味では使われない。
そもそも続けることが良くて続かないのは悪いという認識も正しいことなのか分からない。何かの拍子に3日目か4日目に継続することができなかっただけで、そんなに自分を卑下する必要はないはずだ。3日目で辞めてしまっても、6回目で再開すればそれでいい。それなのに、続かなかったから辞めると考えるのは、始めようと思い立った気持ちを無駄にしてしまうことだと思う。
自分が「3日坊主」だと思う人の割合はどれくらいだろうか。私は自分を「3日坊主」だと感じたことはない。大抵のことはある程度続ける。途中で辞めたとしても、それはその時の自分に必要ないと判断した結果だ。
振り返ってみると、新しいことを続けられる傾向が強いのは、それを毎日やろうと考えていないからだ。
私は、日常に新たに取り入れる習慣を思いついたとき、それを「2日に1回」やることにしている。休みを挟むから、ある時はそれが「3日に1回」になる時があっても、続けられなかった気持ちにならない。一週間やれない日が続いた時は、それが自分に必要な習慣だったのか検討するきっかけとなる。必要ないと感じたら辞めればいいし、必要だと思ったらまた再開すればいい。
今、やっている「2日に1回」は、ブログ、ジム、パックだ。ブログは続けるか検討会にかけられる機会が多い。ジムはこれまでジョギングや室内トレだった運動が、今はジムという形になっている。何かしら運動するのはもう10年以上続いている。パックは毎日しているのだが、2種類を交互にやっているから、2日に1回に入る。面倒臭い時もありはするが、2日に1回だと思ってやっていると気分転換できるからか毎日続けることができている。
その他にも一週間に一回とか、一ヶ月に一回とか、一年に一回とかもありはする。毎日続けているものある。毎日することは、大抵がやらなきゃならない家事だけど。
一人暮らしを始めたころ、家事をするのがとてつもなく億劫で、誰にとがめられる訳でもないから、あまりやらずに過ごしていた。
あの頃の私から見ると、今の私は尊敬に値するほど日々家事をこなしているだろう。こなしているというより、追われてやっている。できることならそろそろ辞めたい、家事。でも、家事の大半は生きている限り続くものであるはずだから、そのことを思うと途方にくれるときがある。
今朝洗濯物を干すときがそうだった。
日々の睡眠不足が積み重なって、起きた時から体が重たかった。それなのに、洗濯後の冬物はずっしりと重たく、カゴを持ち上げるだけでため息なのか気合なのか分からない声が出る。ああ、カゴから溢れるほどある洗濯物を放り出して、もう一度眠りにつきたい。天気もすぐれないのに、どうしてパーカーやスウェットを洗濯に出すのだ。せめて天気がよい日に出して欲しい。
放り出しても片付けるのは自分だ。分かっている。そんなことは十分に分かっている。せめて、しばらく休憩したい。
カゴを置き、床に寝転んで目を閉じてみた。両手足を投げ出し、意識も閉ざす。しばらくじっと動かないでみる。疲れが体の中から流れ出て行けばいいのに。でも、そんなことは起こらない。かわりに、じわじわと冬の冷気が床から伝わってくる。寝転んでいると体が冷えて仕方がない。
仕方なく家事を辞めるのをやめた。どうせやるのは私だ。ああ、どっか別宅を持ってしばらく一人暮らしをしたい。せめて三日でいいから、家事をやめてみたい。