パーマをかけて髪型を少し変えた。
学校で若い男の先生が気づいてくれて、「髪型、素敵ですね」と言ってくれた。 その瞬間は普通に嬉しかったのだけれど、続いた一言が予想外だった。
「聖子ちゃんカットですか?」
なんですって??
驚きすぎて、言葉が出なかった。
私の目は大きく見開いていたに違いない。
聖子ちゃんカットが流行ったのは、私の生まれた頃だ。
その当時の女子高生に流行った髪型だという。
つまり、私より16歳程上の世代に流行った髪型だったはずだ。
「いやいや、私は内田有紀ちゃん世代で、高校時代はみんなショートカットだったよ!!」と大きな声で言いたくなってしまった。
「聖子ちゃんカット」だなんて、私を“かなりの年配の人”として認識しているのかと、 衝撃を受けた。
言った本人に悪意はなかったはずである。
きっと、喜んでもらえる昭和のアイコンとして「聖子ちゃんカット」を持ち出したのだろう。
そう付け加えたら、私から「私世代のことを良く知ってるね」と感心されると思ったのかもしれない。
でも、ちょっと待って。
昭和は63年も続いた時代なのだ。
戦後から高度成長、バブル、崩壊まで、空気が何度も変わった濃い時間。 昭和生まれ、平成育ちの私には、それはひとくくりにできない時間の長さだ。
家に帰ってこのことを子どもに話すと、
「ILLITの子がカバーしてたから、聖子ちゃんは“ちょっと前”のアイドルかと思ってた」
と言われて、時代感覚のズレを実感した。
若い世代にとっては、昭和はひとくくりに語れる時間だということなのか。
今回の出来事で面白かったのは、 外見へのコメントそのものは何とも思わずとも、 “気に障る一言”とセットになると、 急にセクハラ寄りの空気に変わるという発見だ。
外見の話題は、本来「今の私」を見ての言葉である。(いや、そもそも、それも褒められた話題でないが。) でもそこに「聖子ちゃんカットですか?」という“時代のラベル”が重なると、外見と年齢が結びつき、 自分の身体に踏み込まれたような感覚が生まれる。
セクハラの線引きは、 言葉そのものではなく、 どの領域に、どんな文脈で踏み込むかで決まることもあるのだ。
この出来事のあと、しばらくモヤモヤしていた。
急に老け込んだ気になってしまっていた。
でも、こうして言葉にして整理してみると、 昭和のひとくくり問題と、外見コメントの文脈問題が 根底にあったことに気づく。
気づいた瞬間、モヤモヤはすっと消えていった。
気持ちも少し若返った。
言葉にするって、大切だな。

