ポンコツなのを知っている


私はたぶん、しっかりしている人だと見られがちだ。比較的ハキハキしゃべるからだろう。あるいは、色んな役員を断れずに引き受けてしまうこともあるかもしれない。

もちろん、引き受けた仕事はきちんとやるように心がけている。やり終えた後は、きれいに引き継ぐことも信条だ。

だが、私は上辺の印象に反して結構ポンコツな人間だと思う。大人になるまで自分と付き合って来たから分かる。他の人と比べると、うっかりミスをしがちな人間である。物心ついてから今まで、うっかりやった失敗で恥ずかしい思いをしたことをいくつも思い出す。

小学校の国語の授業で『大造爺さんとガン』の授業があった。先生に指名されその本文を音読した私は、「案の定」という言葉を自信を持って「あんのてい」と読み大笑いされてしまった。教室中が笑ったということは、皆は当然のように「あんのじょう」と読むことを知っていたということだ。つまり、既に先生からその正しい読み方を習っていたのである。私はうっかり聞いていなかったのか、その正しい読み方を知らなかった。

中学校の水泳の授業で背泳ぎをしていたとき、25mの折り返し地点で壁があることをうっかり忘れ、頭を盛大に打ったことがある。しかもそれを3回くらい間をおいて繰り返した。用心しようと思っていたことをうっかり忘れたころに、再び頭をぶつけてしまう。背泳ぎが得意だった私は得意になる気持ちが大きく、用心することを忘れがちになってしまっていたのだろう。

そんな感じで、どの年代のときもなにかしらうっかりミスをすることが多かった。

最近では、コロナ禍のときのことだ。あの頃はマスクをしていたため、視野が狭くなっていた。特に自分の胸から下が存外見にくかった。マスクをして近所のスーパーで買い物をしていたときのことだ。そのスーパーは食料品売り場の手前に衣料品コーナーがあり、下着や日用品が置いてあった。たしか、靴下か何かを探した後だったはずだ。食料品コーナーへ移動した私は、いつものように野菜、卵、魚、肉と、それぞれのコーナーをくまなく見て移動していた。そのときふと、視界に何か見慣れないものが見えた。なんだろうと思ってよくよく見てみると、それは婦人物のパンツ三つだったのである。肩にかけていた大きなエコバックの端にそれはひらひらとぶら下がっていた。

どうやら、衣料品コーナーを移動している際に、肩にかけたバックの端がパンツのかかったハンガーにうまいこと引っ掛かったようだった。パンツをぶら下げたまま10分ほど歩いていたことに気付いたときは、さすがに自分のポンコツ具合を恨んだ。

たくさんのうっかりミスを繰り返して、ずいぶんと私のポンコツは表にでなくなりはした。ただ、何か大きな出来事があったり、同時に複数のことに注意を払わねばならないとき、私のポンコツ部分はひょいっと顔をだす。ああ、あなた、まだいたんですね。もうそろそろさよならしたいのですが、年をとって合う機会が増えましたね。これから益々年をとりますが、どうぞお手柔らかにお願いします。