ひとくくりに嫌い


ゴキブリが苦手である。大抵の人が同じように嫌っているらしい。世の中にはゴキブリ対策のグッズがあふれている。今はもう、新聞紙を丸めて叩く人は稀で、姿を見えなくする泡や煙やなんやかんや、いろいろなアイテムでゴキブリと闘っている。

ゴキブリは人の住むところには必ず潜んでいる。人間とは長らく共存しているのに、えらく嫌われている。中には名前を口に出したり書き出すのさえ抵抗がある人もいるようだ。

 私はそこまで嫌いではないか、どうしてもゴキブリが苦手である。たいがいのムシは好きなのに、ゴキブリだけはどうにも好きになれない。

理由はいろいろあるが、一番は素早くてときに飛ぶからだ。しかも一斉に飛ぶことがあるからだ。文字に起こすだけでも恐怖を感じるが、ゴキブリが私に向かって飛んできたことを忘れることができない。

子どもの頃住んでいた家は、まあまあのボロ屋だった。隙間風は当たり前、屋根裏にはネズミがおり、ときに青大将が入り込む田舎の一軒家。ゴキブリも当然潜んでいて、置きっぱなしにしていたゴキブリホイホイは、気づくとたくさんのゴキブリがホイホイされていた。そのゴキブリたちには「飛ぶ日」があった。

なぜ彼らは飛ぶのか。ただの移動なのか理由は分からないが、複数のゴキブリが一つの部屋に存在している場合、同じ日、同じ瞬間に一斉に「飛ぶ日」があるのである。知らないところで飛んでくれるなら別に構わない。嫌は嫌だが、知らなければ問題はない。しかし運の悪い私は、一人でいる部屋でそれに遭遇してしまったのだ。

ちょうど部屋の中心に立っていた。壁を這う一匹のゴキブリと目が合った。そうと感じた瞬間にその翅が広げられ、それが私に向かって飛んできた。その軌道から逃げようと私は足を踏み出す。しかし、足を出したその方向から、あろうことか別のゴキブリが飛んできたのである。パニックに陥った私は、逃げようとその場にしゃがみ込んだ。すると、また別の方向から別のゴキブリが飛んでくるのを見つけてしまったのである。

あまりの衝撃にその後のことは覚えていない。ただ、ゴキブリはなぜだか一斉に飛ぶ日があるということだ。そこのことを子どもの私は学んだ。

予測不可能、理解不可能な動きをするからゴキブリが苦手だ。

だがしかし、予測や理解ができたら好きになれるかと言われると、それはそれで嫌だと思う。なぜ、こんなにゴキブリ全般を嫌ってしまうのか。ゴキブリにもそれぞれ個体差があるはずなのに、ひとくくりに嫌いなのはなぜなのだろう。

苦手なものに「アオガエル」もいる。

小学校のころクラスの男子にアオガエルを投げつけられ、それが頬に当たってから、苦手になってしまった。それまでカエルはさほど嫌いではなかったけれど、頬に当たった衝撃が頭から離れず、今でも「カエル」が苦手のままだ。頬に当たったのは「アオガエル」だから、他のカエルは平気でも良さそうなのに、カエル全般が少し苦手なのはなぜなのだろう。

ネコが嫌いだと言う人に出会ったことがある。かつて飼っていた鳥を、ネコに食べられてしまったからだと言っていた。鳥を食べたネコと、我が家にいる可愛いネコは違う猫なのに、ネコ全般を嫌いだという気持ちが理解できないと思ってしまった。

いや、ちょっと待てよ。それって、私がゴキブリやカエルを嫌いだと思うのと同じことかも。

ひとくくりに嫌いだと思うものと、個別に嫌いだと思うものの違いってなんだ。

親になる前、子どもが苦手だった。だって、何を考えている分からないし、思考が短絡的で訳の分からないことをやりがちだから。話も合わないし、大人が子どもを楽しませるべきって雰囲気がどうも落ち着かないと思っていた。

けれど、親になって、子どもに詳しくなると好きな子どもと嫌いな子どもの線引きが生まれた。今は、子ども全般を苦手だとは思わない。嫌な子はイヤ。そうでない子もいる。

たぶん、子どもの存在が近くなったからだろう。

嫌いという感情に関しては、自分から遠い存在を一括りに見がちなのだ。嫌いが過ぎると、一個体それぞれ違うことを忘れがちになる。それってまあまあ怖いことかもしれない。

ひとくくりに嫌うと、憎悪が増してしまう気もする。そうやって人は、人を攻撃してきて、攻撃し続ているのかもしれない。