かつては希望だった


 最初の子どもが生まれたとき、親としての責任を全うできるのか、不安で仕方がなかった。

 驚くほど小さい赤ん坊は片時も目を離すことができず、私は突然緊張のなかに放り投げられた。今日を無事終えて眠りについても、赤ん坊が起きれば今日の続きが始まり、終わることなく明日がやってくる。私はとんでもない世界に飛び込んでしまったのではないかと、子どもと一緒に泣きたい気持ちになった。

 そんな私にお構いなく、赤ん坊は毎日よく飲み、排泄し、眠り、泣き、どうやら成長しているようだった。「ようだった」としか言えないくらい、その成長を実感することは簡単にはできなかったけれど。

 それでも、赤ん坊は希望だった。しっかり世話してしっかり育てれば、立派な人間になる。そんな希望が詰まった存在だった。

 抱いた希望はしばらく続いた。過去形なのは、今、希望を感じることが難しい現実があるからだ。

 高校生になった子が、ようやく入った学校に行けなくなって八ヶ月ほどたった。新しく買った制服も、教材も、靴も、古びることなく家で眠っている。

 学校へ行けない日々を重ねるにつれ、子どもの背中はどんどん薄く丸まっていった。笑顔をみることもずいぶん減った。

 せっかく入った学校へ通い続けて欲しい気持ちは大きかったが、子どもの健康を考えると転校すべきだろうと思い、通信制の学校へ転校した。

 これでなんとかなるかもしれない。何がなんとかなるのかつかめてはいなかったが、とりあえずそんな気持ちだった。

 転校した先は、通信制とはいえ基本的には登校することを前提とした学校だった。午前だけの授業で終わるから、元気をなくした子でも通えるだろうと思っていた。中学は休むことなく通えていたのだ。早く帰れるならば、普通に通えるはずだった。

 けれど、子は日に日に起きれなくなっていった。

 原因はわからない。そもそも原因があるのかも分からない。

 私の中にあったはずの希望が、日に日に薄れていく。暗い気持ちになる自分を奮い立たせて、出来るだけ毎日子を同じ時間に起こし続けている。新しく子ねこを迎え入れてみた。先住ねこと仲良く眠る姿に、希望を取り戻せた気がした。サプリメントも取り入れた。効果が出始めるまで、待つという希望が生まれた。ジムも入会してみた。希望を感じることができるように。希望がなくなるたびに、新しい希望を取り込むように、新しい試みをしてきた。

 でも、今は希望の底が抜け落ちそうだ。毎晩、減ってしまった希望を見ないように眠りにつく。毎朝、今日は希望が探せるだろうかと目が覚める。

 生きていればそれでいいと思ってみても、本当にそれでいいのかわからなくなってくる。

 気持ちが奮い立たなくなっている。

 希望を感じることが難しいと、今日の自分を支えることが難しくなる。

 猫に顔を埋めたり、本を読んだり、運動したりして私は私をなんとか誤魔化している。