末っ子は今中学生。
小学校三年生くらいまでは本当に「お母さん子」で、自立心はそれなりにあったものの、できるだけ私のそばにいたがるような子だった。話すことも好きで、私に向かってずっと話しかけてきて、この子は思春期になっても口数はさほど減らないのではないかと、どこかで思っていた。
けれど、今の末っ子は必要最低限の情報しか口にしない。学校のことも、友達のことも、何か聞いても「うん」「あー」と返ってくるだけで、そっけない態度に腹が立つこともある。でも、それ以上に「成長することの面白さ」を感じている自分がいる。ああ、ちゃんと思春期に突入したのだな、と。お母さんの世界から脱出して、自分の世界をつくっているのだな、と。
口数が減ると、一つひとつの会話に重みが増すという発見もあった。普段より少し多めに学校であったことを話してくれると、それだけで嬉しくなる自分がいる。我ながら簡単な親だなと思う。会話は少なくなってきたけれど、作ったご飯がおいしいときには「うまっ」と伝えてくれることがあって、その一面に小さい頃の面影を感じて、気づかれないように微笑んでしまう。思春期の距離の取り方に、冷たさだけじゃなくて、面白さも感じる。
河合隼雄さんの『こころの処方箋』に「自立と依存」という文章があって、そこには「充分に依存したからこそ、自立できる」というようなことが書かれていた。この子はまさにその通りで、充分に依存してくれたからこそ、今安心して外の世界へ自立に向かって進んでいるのだ。
親としての責任や面倒くささは、これからも続いていくのだろうけれど、それでも私と子どもの世界は分離したと思う。私も「私の世界」をより大切にしていく時期がきたのだ。子どもが自分の世界をつくっていくように、私もまた、自分の世界を耕していけばいい。
思春期が終わったあと、この子がまたどんなふうに変化していくのか、それが楽しみでもある。今のぶっきらぼうな時期も、きっといつかは懐かしく思うのだろうからできるだけ覚えておきたい。そっけない返事も、「うまっ」の一言も、今のこの距離感も、全部この時期だけに存在する時間なのだ。
