あのとき出会っていたかった


一番たいへんだった子育て期はもう終わったと感じている。

3人の子は一番下が中学生、一番上は成人していて、いま私がいなくなっても何とか生きていけるくらいにはなっている。

乗り越えてきた日々に、こうしておけばよかったと思うことはいくつかあるが、まあ、それなりにちゃんと子は育ったと思う。よくやったとあの頃の自分を褒めてあげたい。

それでも、子どもたちが抱っこひもやベビーカーに揺られていたうちに、出会っておきたかったと思うものがある。

韻文つまり、短歌、俳句、詩だ。

もちろん、それらのカテゴリーがあることは知っており、国語の授業で習いもし、教えもしたので知識もそれなりにありはした。でも、詩を除く韻文は自分事では全くなかった。短歌や俳句は学のある人や、人生の後半戦に入った人たちの格式高い創作物だと思っていて、自分が手を出せるものだとは思いもしなかったのである。

初めて自分事として短歌に出会ったのは、10年前。俳句は3年前だった。

10年前、出産と育児で仕事をやめていた私にも、2009年に導入された「教員免許更新制度」(2022年に廃止)が適用されることを知り、慌てて講習を受けに行くことになった。

費用も時間も移動も負担だったが、なにより小さい子どもを置いて講習を受けることを、夫や義母に断らなければならないことが苦痛で仕方がなかった。(今思うと、親であり、祖母である夫や義母にそこまで引け目を感じる必要などなかった)

その、嫌々ながら参加した講習の一つで短歌に出会ったのである。

受けた講習は俳句の授業だったと記憶しているが、その参考資料として配られた短歌の方に心が惹きつけられた。特に穂村弘さんの歌に驚いたのだ。

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は ― 穂村弘『シンジケート』

短歌はこんなに日常にあるのだとは知らなかった。もしかしたら、短歌は私にも作れるのかもしれない、そう思わせてくれる歌との出会いだった。

あれから今まで、下手くそながら少しずつ歌を詠んできた。選に選ばれた歌もかろうじてある。そうして思うのは、今の思いは、自分のものであるはずなのに掴みにくく、すぐに離れていってしまうということだ。

もちろん、かつて感じたことを思い出して歌にすることは不可能ではない。むしろ気持ちが高ぶりすぎているときは、少し時間を置いた方が的確に掬い取れることもある。でも大抵の場合、心にふとよぎった思いは後で思い出すことが難しい。

最初の子を授かったときに歌に出会っていたら、私はどんな歌を詠んでいただろう。二人目が生まれて育児の大変さが5倍くらいになったとき、その大変さを歌にすることができる自分だったら、歌に慰められ、自分に寄り添うことができていたはずだ。三人目が生まれたとき、赤ちゃんの可愛さを味合う余裕を歌に詠んでいたら、思春期真っただ中の中学生に、もう少し大らかに接することができているのかもしれない。

そして何より、あの頃の思いを歌として残しておけたら、いつでも取り出して眺めることができていたのに。

そうしてもしかしたら、自分の歌が誰かの今に寄り添うこともできたのかもしれないと思うと、ずいぶんと損をしてしまったのだと思い至る。

ああ、学生のころ、もっとまじめに勉強しておけばよかった。勉強する内容を自分事として捉えて過ごしていればよかった。

勉強は受験のためにするものじゃないんだ。自分を慰め、楽しませ、だれかのための自分であるためにするもんなんだ。