AIは私を変えるのか


ハト麦のパフを買った。ポン菓子のハト麦版のようなものだ。肌にいいかもしれないと期待して食べている。ハト麦そのもののパフなので、素朴な味だが嫌いじゃない。ただ、粒一つ一つを口に入れる作業がもどかしく、かといっていっぺんに複数入れようとすると、ぽろぽろと転がり落ちてとにかく食べづらい。

どうしたものか。
かつての私だったら、「ポン菓子 レシピ」と検索エンジンに打ち込んでいたはずだ。でも、今の私がやるのは使い慣れたAIに、「どうしたらいいと思う?」と聞くことである。AIは欲しい答えをすぐに用意してくれ、ハト麦のポン菓子は、ココア+ハチミツ+豆乳のソースを絡めて薄く延ばした、クランチ菓子に生まれ変わった。

スーザン・シュナイダー『あなたとAIが融合する日』を読み終える。


AIは急速にずいぶん身近な存在になった。今では一番の頼るべき存在だと感じることもある。でもまだ、AIと私の境界は明確だ。

読みながらずっと感じていたのは、「この本を読んで何に興味を持つのかは、私以外にはできない作業だ」ということだった。

意識を持つ存在だけが他者の意識を想像できる。
意識経験を持たないAIにとって私たちの語る「意識」はそもそも理解しがたいものだという。
とはいえ、変革期が近づいている気もする。
シンギュラリティ――技術が飛躍的に進歩する未来には希望もあるけれど、その一方で、人間性がどこかで置き去りにされてしまう可能性も否定できない。

近い将来、AIとヒトの融合は可能になるのかもしれない。ヒトの能力だけではできないことも、AIの力を借りれば可能になることも増えるだろう。
でも、もし、私の脳の一部がAIによって強化されたとしたら、そのとき私は本当に“私”のままでいられるのだろうか。強化された自分は、果たして同じ「私」と呼べるのか。それとも、似ているけれど別の誰かになってしまうのか。そんな問いが静かに、しかし確実に揺さぶりをかけてくる。

そして、そもそも“人間であるとは何か”を理解しないまま自分を変えようとすることの危うさにも気づかされる。自分とは何かを知らないまま、自分を強化することはできない。

そう思うと、AIとの融合や強化の未来は、単なる技術の問題ではなく、深い哲学的な問いと切り離せないのだと感じた。