静かな朝に思い出す詩


冬が近づき、朝が冷え込むようになると麦の穂や刈り取られた稲の根元に朝露がつき始める。そこに朝日が差し込むと、その朝露が光を存分に吸収して、田の一面が霞がかった黄金色に輝く。それははっとするほど美しい光景だ。

道行く人たちはいつものように学校に、職場にとそれぞれの日常へ急いでいる。けれどそこには、いつもの朝とは違った静かな空気が流れている。喧騒とは一線を画した空気感。今日も変わらない一日が始まることへの、静かな感謝を感じる光が確かにそこにある。

冷たく澄んだ空気に肩を縮こませながら、その景色を眺めるのが好きだ。この道を通る日常が、自分にあって良かったと感じる。

忙しい毎日をなんとか乗り切っている自分へのご褒美のような景色だとも思う。今日も一日きっと大変だろうけれど、幸せな一日になるようにひっそりと祈りたくなる。

そんな時思い出す詩がある。

谷川俊太郎さんの「朝のリレー」だ。

中学校の教科書に載ってることもある有名な詩だけれど、何度読んでも、朝露に光るあの朝の気配をはじめとして、すがすがしい朝の空気が自分の中に満たされていく。

吉村和敏さんの印象的な写真とともに、いろいろな朝を感じることができる本だ。毎日同じように繰り返されている朝も、全く同じ朝はなく、自分を包んでくれている朝が、どこかで他の誰かを包んでくれるのだろうと思うと、心強い気持ちにもなる。朝は、気怠いことも多いけれど、命の始まりを感じるひととときでもある。

一方で、暮れていく時間を刻一刻と切り取った『ゆう/夕』もある。

どんなに今日をとどめておきたくでも、必ず今日という日には終わりがくる。暗くなり始める夕暮れは、今日の一日を振り返りながら、複雑な気持ちで過ごすことが多い。車を運転しながら、皆が家路に急ぐ様子をため息とともに眺めてしまうこともある。今日の自分は、思い描いた自分だっただろうかと、ひとしきり反省してしまう時間だったりもする。

家に帰ってしまったら、夕暮れの変化を気にすることもなくバタバタと今日を終わらせてしまうことしかできない。夕は、一日の中ではほんのわずかな時間だと思う。

『あさ/朝』と『ゆう/夕』は函入りのセットで買うこともできる。

美しい装丁は、贈り物にも良さそうだ。

話が飛躍するようだけれど、back numberの「水平線」を初めて聴いたとき、この本のことを思い出していた。とくに「朝のリレー」の世界観がそのまま歌になったように感じられて、なんだか泣けたのだ。

歌を聴きながら、いろいろなことはあるけれど、朝が始まり、別のところでは日が暮れていくことは、ほとんど奇跡なのだと思った。

私がこの朝を誰かに渡し、私の放った空気がだれかのもとに届けられるというならば、すこしでも優しい空気を届けたい。

どこの誰だか分からないあなたが幸せであることを、何にも関係のない私だけれど祈っていたい。