ほどよい距離感


初めて使ったSNSはミクシィだったと思う。
何度か使ってみたけれど、家にいる時まで誰かとつながっている状態に慣れなくて、すぐにやめてしまった。

私の子ども世代は、誰かとつながっているのが当たり前の世代だなと思う。
友達が今どこにいて、何をしているのか、毎日確認できる新しいSNS(名前は忘れた。BeRealではない。それより新しいものらしい)が面白いと言っている。

友だちが何をしているのか知りたいし、知らせるのが面白いという感覚。
SNSに触れたのが大人になってからという世代には、ちょっと理解できない感覚ではなかろうか。私だけか?

菊池良『本読むふたり』を読み終えた。

読みやすくて、するすると読める本だった。
かつてのTwitterの空気が蘇ってきて、少し懐かしくなりもする。

私も読了ツイートをしていた時期があった。 でも、この物語のように誰かとつながることはなかったし、つながらないことをよしとしていた。
誰かとつながることには、どこか怖さがある。

しばらく続けたが、ツイートでは書ききれなくなって、ブログを始めた。
短い言葉に押し込めるには、私の読後感はいつも少し長すぎる。 余白を含んだまま置いておける場所が欲しかったのだ。

読んだ後に誰かと感想を言い合うこと。
同じ本を楽しみに待つこと。
それは恋じゃなくても十分に心が動くし、むしろ恋じゃないからこそ軽やかかもしれない。

深く踏み込まれない安心感。 当たり障りのない関係の人と、気軽に本の話をする心地よさ。 そういう距離感のほうが、私には合っているのかもしれない。

この物語の主人公たちのように、私は村上春樹に傾倒したことがない。(好きな人が多いから、あんまり大きな声ではいいたくないが)
いくつか読んだが、 作品の良さを分かり切れないまま、いつも少し距離を置いて読んでしまう。

勝手な印象だが、いわゆる“ハルキニスト”は男性が多い気がする。
女性である私は、男性の性への憧憬が生々しく描かれる場面に、あまり入り込めない。 その視点に乗り切れないまま、ページの外側に立ってしまう。

読後の気持ちをこうして言葉にしてみると、 本を読むことは、やっぱり誰かとの距離の取り方とよく似ている。

近すぎず、遠すぎず。 触れすぎず、離れすぎず。 その感覚が好きなのだ。