言葉にならなくても思いはある


くるねこ大和『ヤギぼんズ』を読んだ。

ボクちゃんオレちゃんという二頭のヤギとの日常。
ボクちゃんとオレちゃんから伝わる、 しっぽをぶんぶん振る嬉しさ、なでてほしい場所を差し出す素直さ、 雨が嫌で、知らない人が苦手で、でも信じた相手には全身で寄りかかってくる── その姿がとにかく可愛くて、あっという間に読み終えてしまった。

「優しさ」というのは、人間の言語によって作られた概念だけど、頭突きしてオヤビンを転ばせた後、次からは転ばせるような頭突きをしないボクちゃんとオレちゃんには、確かに「優しさ」を感じることができる。 しかも“学習する優しさ”であることに驚く。

ヤギと一緒に暮らしたら大変だろうけれど、 その大変さごと抱きしめたくなるような、 豊かな表情と感情を持った存在だった。

ヤギぼんズを読んでいると、 「異種の生き物と気持ちが通じ合う」という感覚が、 決して幻想ではないことに気づく。

動物は言葉を持たない。 けれど、声、 姿勢、目線、呼吸、距離、匂い、リズム── そうした身体のサインを通して、 確かに感情をやり取りしている。

人間は言葉で感情を“整理”するから、言葉がなければ感情が生まれないと思ってしまう。けれど、言葉にならない情動は、赤ちゃんにだってある。そのことを考えると、言語で感情を把握するより先に、 まずは身体で感じているというのは当然のことだと思い至る。

「言葉があるから考えられる」というのは一理あるけれど、そうでない一面もある。

思考は言葉の前に生まれ、言葉はその“説明”にすぎない。
これまで何度も経験してきた“言葉にしきれない思い”は、まさにその前段階の、削ぎ落とされる前の感情なのだと思う。

一方で、削ぎ落されるからこそ、伝わる感情もあるのが面白い。
韻文に表されるように、 言葉を削ぎ落としたときに初めて立ち上がる感情がある。 言葉の余白に宿る気配や温度。 そこにも、本当の思いがある。

動物の世界は、混沌と“余白”でできている。 私たちの感情も本来は同じだ。だから、言葉を介さずとも、 彼らの気持ちを受け取れるのだろう。

ヤギぼんズの2匹が見せてくれたのは、 言葉の外側に広がる、 まっすぐで、混ざり合ったままの感情の世界だった。