飲まないという選択


初めてビールが美味しいと感じたのは、一つ上の彼と行った花火大会だった。
というと、素敵な思い出のようだけど、実際はまあまあ苦い思い出だ。
彼は長年付き合っていた人と別れたばかりで、その元カノを良く知る男女グループの集まりに誘われたのだ。

知らない人たちから好奇の目を向けられつつ見た花火は、燃えカスが降ってくるほど近く、暑くて煙くて、そして慣れない下駄が痛かった。

その後すぐ「やっぱり元カノが忘れられない」と、彼から別れを告げられた。

原田ひ香『ランチ酒』を読み終わる。

第八酒の話で、主人公が言った言葉が印象的だった。
奥さんの冴子さんを亡くして立ち直れない堀田を見守ったあと、依頼者の藤堂に言う言葉だ。

「自由すぎるのではないかと思いました」
「お葬式とか親戚の対応とか面倒ですけど、そういうことをしている間に、だんだんとあきらめるというか、死を受け入れるということもあると思うんです」

“儀式の面倒さ”が、逆に心の整理を助ける。
その視点にハッとした。
悲しみを癒すための優しい仕組みというより、 現実を受け入れるための時間を強制的に与えるという意味合いが、儀式にはあるのだと知る。

私はお酒を飲むことをやめて、4年ほど経つ。これからも飲まないと思うし、そもそも、いろんなお酒を飲んだこともない。 だから、お酒好きな人が、それを楽しむ様子を羨ましいと感じることもある。
自分の味わうことのない領域だからだ。

でも同時に、酔わない人生を選んだ自分のことも肯定している。
お酒じゃなくても、美味しいものや心がほどける瞬間は他にいくらでもある。 その選択をしている自分に、今は満足している。

仕事場には、いくつかのお茶を常備している。 ミントティ、カモミールティ、ローズヒップティ、穀物ブレンドティ、シナモンティ、そしてフレーバー紅茶が3種類。

ちょっとした時間に、気分に合わせて選べるのがいい。 小分け包装だから、誰かにそっと渡すこともできる。 強すぎない香りのものばかりで、相手の領域を侵さない。

以前はデカフェのコーヒーも置いていたけれど、今はやめている。 カフェインを控えているからだ。 それでも、たまにコーヒーが恋しくなる瞬間はある。 そんなときは、別のお茶でやり過ごす。 無理に断つのではなく、静かに距離を置くようなやり方で。

儀式が悲しみを受け入れる時間になるように、 日々の小さな選択もまた、私の生活を静かに形づくっている。