ロールケーキが好きだ。
嬉しいことに、ケーキ屋さんでもスーパーでも美味しいロールケーキが買えるようになった。
とはいえ、嗜好品だから、頻繁に食べるわけにはいかない。身体と財布と相談しながら、買うかどうかを決めなければならない。
いつものスーパーで、普段の倍の量のロールケーキを見かけた。とっさに「お得だ」と思った。けれど、一切れいくらなのかを計算してみると、いつものロールケーキの値段と変わらなかった。
山元昌宏監修『文系のための東大の先生が教える学び直し算数』を読み終えた。
分かりやすくて、読んでいる間は「なるほど」と思えたのに、本の内容を説明しようとすると、頭の中に霧がかかったようなぼんやりした感覚になる。
理解はできた。
でも、しみ込んでこない。
覚えていない。
そのことに戸惑う。どうしてこうも、算数や数学との距離を感じてしまうのだろう。
数字に関する文章を読むときの疲労感は、苦手意識がもたらすものとは別に、普段使っていない認知の筋肉を急に動かしたときの“筋肉痛”によるものがある気がする。
興味のある自然科学や文学を読むときのように、内容が自然に記憶に残らない。数は抽象的なもので、物語のようにフックがないように感じてしまうから、理解の瞬間はあっても、時間が経つと霧のように消えてしまう。
数を面白いと思う人がいる。でも、私は数に興味がない。 読んでいる本に、数字がたくさん並んでいるところがあると、迷わず読み飛ばしてしまう。
そこに不思議さを感じる。
算数を面白いと思える人と、そうでない人の違いは何なのだろう。
それは“世界の見え方の癖”の違いなのかもしれない。
構造で世界を捉えるとスッキリする人もいれば、物語や関係性の流れの中で理解が深まる人もいる。
いや、そもそも知識が足りなのだろう。そして興味も。
私だって、数を面白いと思う知識をたくさん積み重ねれば、おのずと興味も増し理解も深まるはずだ。そう思いたい。
読んでいる最中には確かに「分かった」と感じる瞬間があった。 その一瞬の光のような理解は、細部としては残らなくても、どこかに“地形”のように薄くのこっているはずだ。
スーパーでロールケーキのお得を計算する作業のように。
生活に結び付けて考えるクセを持てば、もう少し数に興味が持てるかもしれないな。
