俵万智『生きる言葉』のページをめくる。
「ああ、なんてことだ。どうしてこんな風に言葉に向き合えるのだろう」と胸が熱くなり、俵万智さんの言葉が体の奥に流れ込んでくる。
中でも「クソリプに学ぶ」は、情報の教科書に載せるべきだと思えるほど、ネット社会を生きるための知恵が詰まっていた。
俵万智さん(なんだか、「俵さん」とも「万智さん」とも呼び難いので、度々のフルネーム呼びをお許しください。)の歌で、好きな一首。
焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
『チョコレート革命』
いったいどんな状況なの、と想像が一気に広がる。
あけすけで、身もふたもなくて、どこか怖い。
その怖さにしびれる。
私は細々と歌を詠んでいる。本当に細々と。
ときどき、「いい歌ができた」と思えることがあるけれど、しばらく経って見返すと、たいした歌じゃないと思うことの方が多い。
調べは簡単には整わないし、言葉の選び方の力が足りないんだよねと自省ばかりしてしまう。
私は言葉を信じ、頼りすぎているのかもしれない。だから、選び損ねるのだ。つい、言葉に任せすぎてしまう。
泣くほどつらいとき、言葉は私を表しきれないと分かっているのに、
普段はそのことを忘れてしまう。
真剣さや覚悟が足りないのだろう。
もう誰も包み込んではくれなくて胡桃になって床に転がる
大人になって、母親になって、
夫は自分のことしか考えていなくて頼りにならなくて、
「ああ、私はもう誰からも守ってもらえる存在ではないのか」と思ったときの歌だ。
誰にも頼ることができないなら、とりあえずじっとやり過ごすしかない。
その感覚が、胡桃の固さや軽さ、孤独さと重なったのを覚えている。
優れた歌として選ばれることはなかったけれど、思い入れがある。でも、今見返すと下の句の言葉選びが甘いなとも思う。
誰かと共有できるような歌を詠むのは難しい。
昔よりは力がついたとは思うけれど、それでも足りないと感じる。
歌を詠んでいると思う。言葉を選ぶときに迷うのは、今の自分や世界に対して、誠実であろうとするからだなと。
言葉は意味をもつ記号だけれど、あるだけでは大した力を発揮しない。どの言葉とどの言葉を組み合わせて、どう使うのか。その過程を通らないと、言葉は力を持たない。
私はその「過程」に大いに迷いながら立ち向かっている。
