言葉によってつくられる私


ジムでトレーニングをする利点の一つに、オーディオを聴けるということがある。
かつてイヤホンをしてランニングをしていたときがあったが、走りながら聴こうと思えるのは音楽くらいで、語学の勉強をする余裕はなかった。
ジムには、スマホを立てかけてトレーニングすることができる器具もあり、Wi-Fiも使えるので、映像を見ながらトレーニングすることも可能だ。
いろいろ試してみて、トレーニングするときはポッドキャストに落ち着いた。聞き流すという点ではラジオでもいいかもしれない。

清野孝弥『1年で5カ国語をマスターした私の外国語「同時」習得法』を読み終えた。


日頃から「人の思考は言語に拘束されている」ということを実感している。
だから、多言語学習は“自分を変える”ための方法になり得るのだと、思ってはいた。でも、多言語学習は難しいイメージしかない。

同時に学ぶのは簡単ではない。
でも、この本には「難しいけれど、やってみたい」と思わせる力があった。
もし本の通りに実行できたら、私にも多言語習得は可能かもしれない。
ただ、“本の通りに実行する”というのが、なかなか難しいのだけれど。

まず取り組みたいのは英語。
ずっと触れてきたのに、思うように身についていないやっかいな言語だ。
私に関していえば、中学英語を中途半端にしかやっていないことが、身につかない一つの原因だと思っている。

英語の授業をぼんやり聞いていたのだろう、文法用語が頭に入っていないのだ。
「第五文型」「不定詞」「関係代名詞」……名前は知っていても、身体感覚として結びついていない。定期テストはなんとか点を取っていたけれど。

国語の教師として、漢文を教えるようになってから、英語の語順に少しだけ明るくなった。
漢文において語順を“構造として組み立てる”感覚は、英語に通じている。

中国語は、少し勉強したことで“手触り”がある。
文法がシンプルだから、学びやすそうだ。
ただ、発音は難しい。

ランス語も学んでみたい。
音の流れが美しくて、言葉の温度が柔らかい言語だと思う。
意味よりも先に“響き”が心に届く。

多言語学習は、ただのスキルではなく、思考の癖を変えるための道具になるだろう。習得した先にいる自分はどんな自分か、それを考えるとワクワクする。果たして、やり切れるかどうか。それが問題だ。