長月天音『キッチン常夜灯 ほろ酔いのタルトタタン』を読み終えた。
前作から時間が空いていたせいで内容をほとんど覚えていなかったのに、それでも十分楽しめた。そもそも一作目を読んでいないのだけれど、それでも問題なく物語に入っていける。
「キッチン常夜灯」で提供される料理は、私が食べたことのないものばかりなのに、どうしてこんなにも美味しそうなのだろう。キッチン常夜灯に通える登場人物たちが、心底羨ましい。常夜灯で過ごす時間は幸せそのもので、同時にとても贅沢な時間でもある。
彼らはよく食べ、よく飲み、そしてよく働く。
美味しいものが明日への活力になり、働くからこそ美味しいものを存分に味わえる。
その循環に乗れている人たちに触れ、羨ましさが胸に広がる。
思えば、独身の頃の私は奨学金返済でずっと貧しく、安上がりな自炊ばかりしていた。
ようやくお金に余裕が出てきた頃には家族がいて、得たお金のほとんどは子どもの費用として吸い取られている。
「自分のために美味しいものを食べに行く」という行為は、今でも後回しだ。
それでも、美味しいものを求める気持ちはずっと消えない。
生きるためだけなら、美味しさは必須ではないはずなのに。
世界中どこにいても、美味しいものと不味いものの区別は存在する。
これはきっと、味覚が単なる栄養摂取ではなく、記憶や安心や喜びと結びついているからだ。
家庭料理は、手を抜きたい気持ちと、美味しくしたい気持ちと、栄養を考える必要性のせめぎ合いだ。
高度な技術は求められなくとも、栄養、コスト、時間、家族の好み、自分の体力、在庫管理…と、驚くほど多くの要素を同時に扱う作業である。
それを毎日続けているのだから、家庭料理は立派な総合技術だと思う。
手は抜きたいけれど、美味しさは絶対に譲れない。
だから、バズレシピのリュウジさんにはよく助けられている。
辛ラーメン鍋なんて、どう作っても美味しい。豚バラとチーズさえあれば、あとは何を入れても成立する。
ただ、食後に喉が渇くので塩分は多いのだろうな、という反省はある。
毎日のご飯づくりは大変だ。
でも、食べさせる相手がいるから頑張れるところもある。
ひとりだったら、ロールキャベツも唐揚げも、きっといや、絶対作らない。
美味しいものを求める気持ちは、私の生活の大事な柱だ。
美味しいものを食べると、満足できる。そしてまた、美味しいものを食べたいと思う。
だから、いくら作り慣れていても変わらず面倒なのに、私は今日も台所に立っている。
