今日は何を食べますか


我が家の今夜の献立は「キムチクリームうどん」。レシピ通りにつくれば、「うまっ」と言いたくなる「リュウジ」のレシピ本に拠った料理だから、きっとおいしい。食べるなら、美味いものを食べたい。私が美味いと思えるのは大前提だが、家族が美味いと思えるのも重要事項だ。でも、皆がおいしいご飯はを作るのは結構むずかしい。味覚には個人差があるからだ。

世界には多様な人種が存在しているように思われるけれど、どんな人種であれ、そのDNAは99%以上が共通している。
身体のつくりも、食べ物を消化する仕組みも、空腹を感じる感覚も、ほとんど同じなのだ。

たった1%の違い。その違いが多様な文化を生み出してきた。

『うちに食べにきませんか』には、さまざまな国の家庭料理が登場する。それを中村さんはどんどん、むしゃむしゃ食べていく。そのパワフルさに圧倒され、世界の食文化の多様性も感じることができる。それにしても不思議だ。人間のDNAは99%同じなのに、まったく別の生き物のように見えるほど、違うものを食べる人たちがいる。

そういえば、以前読んだ、辺見庸『もの食うひとびと』にも圧倒されたな。

DNAがほぼ同じでも、環境が違えば食べ方は変わる。
寒冷地では脂肪を蓄える料理が求められ、熱帯では香辛料が保存と健康を支える。
海に囲まれた地域では魚介が中心になり、内陸では穀物や乳製品が主役になる。
こうした環境の違いが、まず食文化の最初の枝分かれを生んだのだ。

しかし、分岐はそれだけでは終わらない。
同じ食材でも、意味づけが違えばそれは別の姿として現れる。
日本では米は神聖で清らかなものとして扱われ、中国では油や香辛料と組み合わせる料理の一部になり、インドでは宗教的規範の中でスパイスと調和する。
味そのものよりも、「その味をどう受け取るか」が食文化を形づくるのだろう。

そして、身体の特性もまた、環境の物語を背負っている。
人類史の大半は飢餓との戦いだったため、少し食べただけで脂肪を蓄えられる体質は圧倒的に有利だった。
現代のように食べ物が常に手に入る時代は、人類史の中ではごく最近の出来事にすぎない。
だから、太りやすい体質は「今の環境と噛み合いにくいだけ」で、本来は生存に強い体質だ。

私は太りやすい方だ。しかも、運動してもなかなか変化が出にくい。
今の社会では「痩せていること」が価値として扱われがちだから、どうしても「太りやすく、痩せにくい」ことを不利に感じる瞬間がある。
でも、身体の特性そのものは劣っているわけではなく、長い歴史の中ではむしろ“生き延びるための強み”なのである。

食文化の多様性も、身体の違いも、環境と記憶と感性が織りなす物語の違いなのだと思う。

同じDNAを持ちながら、違うものを食べ、違う味を好み、違う言葉で語る。
その違いこそが、人間の豊かさそのものなのだろう。