見えない世界がそこにあると思うこと


困ったとき、偶然手に取った本に求めていた答えが書いてあった。
そんな経験が何度かある。
それはただの偶然だったのかもしれない。でも、何度かそうした出会いを重ねるうちに、ただの偶然とは思えなくなった。
私が本を引き寄せたのか、本に私が引き寄せられたのかーー不思議な因果関係を感じてしまう。

見えない世界は、確かにある。

そう思える小説だ。


見えている世界がすべてではない。

だからこそ、誰かの善意が、知らない誰かを救っていることもある。
その静かな連鎖が、社会を支えている。

一方で、見えない世界には怖さもある。
たとえば、誰かの自分への評価。突きつけられる突然の悪意。そのすべてを事前に知ることはできない。
不意な出来事は表には出ないけれど、確かに存在しているからこそ出会ってしまうのだ。
私自身の「無意識の偏見」や「情報の偏り」が、知らないうちに誰かを傷つけることもあるだろう。
見えないからこそ、気づきにくく、避けることも難しい。

人の記憶や思考もまた、見えない世界の一部だ。
過去の経験が、今の判断に影響を与える。
でも、その影響には自分でも気づかないことがある。
盲点ーーそれはまさに見えない世界だ。そこにあるのに、意識が向いてないだけで目の前にあるものさえ見えなくなる。

見えない世界は怖い。それでも私は、偶然に意味を見出したいと思っている。
本との出会いも、人との会話も、何かの予兆のように感じることがある。

もしかしたらそれは「並行世界」のようなものかもしれない。
見えていない世界、つまり別の可能性が、静かに隣に存在している。
だからこそ、今の自分の選択のひとつひとつが、明日の自分を形づくっていくのだ。

見えない世界を意識することで、生き方は変わるだろう。
誰かの痛みに気づき、自分の言葉に責任を持つようになる。
そして、偶然に感謝するようになる。

怖さもある。でも、それを知っているからこそ、優しさを選べる。
私は今日も、何かを選びながら生きている。
その選択が、明日の自分をつくる。
見えない世界は、そこにある。
それを信じることで、少しだけ良い私になれる気がする。