身長が伸びなくなり、今の大きさになったのは中学3年生のころだったろうか。体重の増減(最近は増加の一方であるのが悩み)はあったが、もう長いことだいたい今の大きさの自分と共に生きてきた。
見た目は大きな変化はないように思えるけれど、いつもなんとなく自分への違和感を感じている。
何をしなくても、きちんと年齢は重なる。去年出来ていたダッシュが今年は出来なくなっている。階段を駆けのぼり、駆け下りることのできる自分はもういない。何かに体をぶつけることが増えた。
一方で、走らないので転ばなくなった。
友だちと時間を気にせずに話し続ける時間や気力はどこかへ消えた。くだらないことで思い切り笑えたのはいつだったか思い出せない。
でも、あのころ漠然と抱えていた悩みや孤独を今は感じない。
いつも誰かに恋をしていたのに、日常に恋なんて存在しなくなった。結婚を夢見る若者を冷めた目で見てしまう自分に驚くこともない。
だからなのか、切なくて眠れないなんてことはなくなった。
腕も腹も出せる服よりも、きちんと太いところを隠してくれる服が欲しい。去年たしかに入ったスカートが今年は入らない。
つまりは、楽な服の心地よさを知った。
新しい環境になる度ごとに、私は私に慣れなくてはいけない。すんなり慣れることができる人もいるけれど、時間がかかる人もいる。ようやく今の自分に慣れてきた頃に、次の新しい自分に出会う。また慣れるのに時間がかかる。仕方がないのだ。
新しい自分に慣れたあと、もとの自分は消えずにそこに共存しているのだろう。
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自分が自分に慣れるのにも時間はかかるけど、親が子どもの新しい面に慣れるのにも時間がかかる。だから、変化の大きい思春期は大変なのだ。