読みたい本を読みきるには、人生は短すぎる。
そんな警句めいたことを、本を前にするとどうしても考えてしまう。
時間は有限であるのに、そのことに頓着せず子ども時代を過ごしてしまった。
「面白い本は、いつ読んでも面白い」とは言い切れない。
自分の読解力や経験が追い付いていないと読めない本がある。
それとは逆に、知りすぎたり経験が多すぎることで、かつてなら感じられたはずの面白みを十分に味わえない本もある。
本には、読むべき「とき」が確かにある。
米澤穂信『氷菓』を読み終えた。
中学生向けの読書入門としてよく名前を見かける作品で、つい先日も中学生から「おすすめですよ」と言われたばかりだった。気になってはいたけれど、これまで読んでいなかった本のひとつだ。
読み始めてすぐに分かったのは、文章の読みやすさと、キャラクターの立ち方の鮮やかさだ。登場人物たちの会話のテンポは漫画を読んでいるように、軽やかに進んでいく。
古典部シリーズは
『氷菓』
『愚者のエンドロール』
『クドリャフカの順番』
『遠回りする雛』
『ふたりの距離の概算』
『いまさら翼といわれても』
と6作刊行されている。シリーズとして続きがあるから、読書習慣をつけるためにうってつけの作品だ。
でも、正直に言えば、今の私には少し物足りなかった。
「中学生のころに読みたかったな」と思う。作者が同年代だから、どだい無理な希望だけれど。
中学生の自分なら、奉太郎の“省エネ主義”にも、千反田の「わたし、気になります!」にも、もっと素直にワクワクできたはずだ。日常の中にある小さな謎や違和感を拾い上げる物語は、思春期の感受性によく響くことだろう。
ああ、大人になりすぎてしまったんだな。
今の私は、物語にもう少し“必然性”や“重さ”を求めてしまう。 同じ米澤穂信さんの作品でも、『王とサーカス』や『満願』のような、人の心の影や選択の重さが物語の核にある作品のほうが、深く入り込める。
『氷菓』は「読書の入り口」として 読みやすく、キャラクターが魅力的で、謎解きが知的好奇心をそっと刺激してくれる作品だ。
中学生のころに出会っていたら、その後の読書体験が豊かになるよう導いてくれることだろう。
本を閉じる。
文庫本の表紙があの頃を思い出させる。
世界という言葉が、学校とほとんど同義だった学生時代。
「あの頃の自分が読んでいたら」という想像をしながら、しばらく表紙を眺めていた。
