最初の子が生まれて20年になろうとしている。子どもを産んだことで、私は必然的に親になったわけだけど、親という振る舞いの大変さをずっと感じ続けてきた。
乳幼児は絶対的に保護者の庇護が必要な存在であろうから、毎日24時間子どもの世話をし続けることの大変さは、親になる前からなんとなく分かっていた。
現実は予想の上を行った。日々の子育ては予想外のことばかりで大変さと困難といつも隣り合わせであり、子どもを育てるのがこんなに大変だとは思わなかったと思った。それでも、いつの日かこの日々を振り返って、子育ては大変だったなぁと思える日が近いだろうとも思っていたのだ。
時が立てば子どもは育つ。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校と進学するにつれ、きっと大変さは薄れていくのだろうと漠然と思っていたのだ。
今、子どもたちはそれぞれ、確かに身の回りのことは自分でできるようになり、駄々をこねたり、外で暴れたり泣いたりはしない。でも、親としての大変さから逃れられたか、と言われたら「はい、そうですね」とは首肯し難い。
例えば、大事なテストがある日。登校途中の娘から具合が悪くなったとLINEが届く。電車のなかでめまいがし、吐き気と耳の閉塞感で途中で電車を降りたという。
出勤前の私は娘のいるところまで車で30分以上かかり、とても迎えにいけない。貧血か低血糖だろうから、取り敢えず座って様子を見るようにとしか言いようがない。同時に何が必要か考えを巡らす。仕事帰りに鉄分を補うサプリメントを買って帰ったほうがいいかもしれない。学校に遅刻する旨を連絡しなければ。娘に少し気分が良くなったら、座れそうな電車に乗って着いたらコンビニで鉄分を補えるものを買うように言う。今日の大事なテストは受けてほしいから、なんとか学校にいけないだろうかと策をめぐらす。
健康でいてくれさえすればそれでいいのに、それさえも難しいと思う。いや、欲をいえば、充実した幸せな日常を送ってほしい。さらに言えば、前向きに頑張れる人であってほしい。できれば、世の中の人から称賛されるような人生を送れたいい。親に心配をかけず、兄弟仲良く協力して生きてほしい。尊敬できる連れ合いと出会って、互いに助け合いながら生きてほしい。次々に湧いてくる欲求が止まらない。
もしかしたら、これが、一生続くのではないか。
そう、一生続くのだ。私は親になったあの日から、一生親であり続けなければならない。そんなこと分かり切っていたことだ。なのに、目の前の子育ての負荷を軽くするために、成長した後のことには蓋をしていた。そのことを、あまり世間の人は口にしないけれど、親になるのはすごく大変じゃないか。自分のことでさえあんまりうまくコントロールできないのに、ずっと子ども三人の心配をしながら生きていかなくてはならないとは。
親になったら、ずっと親であり続けなくてはいけないのだ。それをもっと世の中の話題にあげていってもいいような気がする。だってすごく大変ですよ。
大変だと思ったときに読んでみるといい本。
親としての心構えを学べる本。
この家族の形で大丈夫なのかと思ったときに、気持ちが軽くなる本。
勉強させることが幸せとは限らない。