自然から学ぶ


ありきたりな表現だけれども、自然から学ぶことは本当にたくさんある。

わたしが子どもの頃は、今と違ってスマホもタブレットも存在していなかった。誰かと連絡を取るためには家の固定電話を使うか、直接家に出向くしか方法がなかった。一番近い隣の家が歩いて5分という場所に住んでいた小学生の私にとっては、そのどちらもハードルが高い連絡手段だった。

そのため、学校が休みの日は、家族やペット(ペット呼んだことはなかったが)としか顔を合わせない。家の中で暇をつぶす方法はテレビかリカちゃん人形くらいで、暇なときは外を眺めてぼーっとするか、近くの小川(小さい川は全て井手と呼んでいた)に足を突っ込むか、ムシをとるか、あてもなく自転車を走らせるか、野山に踏み込むくらいしかやることはなかった。

暇で死にそう、と思ったことは山ほどあり、夏休みは嬉しくもあるが暇を持て余す退屈でやりきれない時間でもあった。でも、その時間があったから「私」は「私」として作られていった実感はある。

ムシの名前や植物の名前、どんな風に生き物が生まれて、どんな風に死んでいくのか、図鑑や本で見たことがなくてもいつの間にか知っていた。どのムシが危険で、どの植物が食べられるのか、大人になって知ったことももちろんあるけれど、子どもの頃の私は何となく知っていた。

自然に教えられることはたくさんあった。生き物は全て、自然の仕組みに抗うことは不可能であるはずだから、ただ静かに自分を受け入れるのが本来のあるべき姿なのかもしれない。

おススメ対象 高校生~大人

湿地でひとり生きていくしかなかったカイア。生き物は自然の一部であり、命を継いでいく役目を負っているだけだということを、理解する以前に身につけていたカイア。彼女にとって自然を知ることは自分を知ることだったのかもしれない。

ラストは驚かされたけれど、その結末があって当然なのだとも思えた。