自分を守る方法を探しつづけること


たくさん、傷ついてきたと思う。恥ずかしい思いもしてきた。

そして、自分も意図せず誰かを傷つけてきたのかもしれないと思う。可能な限り気を付けてきたけれど。

傷ついても、なんとか大人になるまで、普通の人のふりをして来れたのはたまたま運が良かっただけなのかもしれない。

自分は大丈夫だと思っていても、ふとした瞬間に深い傷を負ってしまうときが、これからも来ないとは言い切れない。

ちょっとしたむき出しの悪意に出会うことなんて、人と接する機会があればその辺にたくさん転がっているだろうから。

人口密度が恐ろしく多いスーパーで買い物をしていた時期があった。品ぞろえの良さと安さに惹かれて、少し無理をしてそこで買い物をしていたときのことだ。そのスーパーで、私の推すカートを乱暴に押しのけていく人に出会ったことがある。

私よりずいぶん年配の女性だった。

私のカートがその人の進行方向にあったのは確かだが、通路をふさいでいたわけではなかった。その女性が少し進路を変えれば、通ることは可能だったのにも関わらず、私のカートはたたきつけられ、乱暴に壁へ押し付けられた。

なんてことない出来事だ。きっと大したことない出来事だ。世の中には傍若無人な人なんてたくさんいる。そんなことは分かっちゃいるけれど「ああ、なんか無理かも」そう思った。

それから、私はそのスーパーで買い物するのをやめた。

自分を守れるのは最終的には自分だけだ。守るために今いる場所から逃げることは悪いことではない。逃げたことに負い目を感じることがあっても、それは仕方がないことだ。だって、そうしないと、自分を守れないのだから。

おススメ対象 中学生~大人

主人の久澄は、自分を守ろうとして生じた結果に苦しんでいる。苦しんで、そこから動けなくなってしまっている。

そう、逃げるのは必要なことだけど、逃げた後も苦しみは完全にはなくならない。形を変えて自分を苦しめることがある。逃げ込んだ場所に居続けるのも、そこから一歩外へ足を踏み出すことも簡単にはできなくなる。

そんなときは、好きなものを探せばいい。あるいは、そんなときに備えて、普段から好きなものを蓄えておくといい。

好きなものは自分を少し外へ連れて行ってくれる。好きなものを好きでいる時間は自分のことを守ってくれる。

私は知らない人がたくさんいる集まりへ行くのは億劫だけれど、好きなバンドのライブには一人でも行くようにしている。行くまではものすごく気が重い。でも、行かなくては好きを存分に味わえない。

好きを存分に味わった私は、いつも少しだけ自分を守れたと感じるのだ。