何もないところでつまずくことが増えた。そのことに気づいてから、足首のストレッチを入念にするようになった。
靴底が薄い靴を履くと、足の裏がつるようにもなり、バレーシューズの代わりにスニーカーを履き、足裏のマッサージを欠かさなくなった。
年相応に体は変化するようで、何もしないとどんどん柔軟性がなくなっていく。
つまずくのは、足首だけのせいでもないはずだから、股関節の可動域にも気を配っている。それでも、急いで歩いていると、足が十分に上がらなくなるのだろう。つまずくときはつまずいてしまう。何もないところでつまずいている同年代の方々を見かけると、「分かりますよ」と言いたくなる。
毎日ストレッチをしていると、他にも強張っている部分に気づく。肩、クビ、腰、背中。色んな部分が硬くなっている。寝る前の筋膜リリースも習慣になった。
それで、朝起きたら首が固まって痛い、ということはなくなったが、痛む日が全くないかというと、そうでもない。
肩や腰の凝りは、人間が二足歩行を始めたからだと、今読んでいる本に書いてあった。となると、凝りを実感しているのは、ホモ・サピエンスだけだろうか。言語を持たない動物は、「凝り」という言語認識がない以上、凝りを「実感」し得ないことは別として。
二足歩行は、ホモ・サピエンスの子どもの養育に、時間と労力がかかる要因にもなっているそうである。
凝りとは違うが、疲労は昆虫でも蓄積するらしい。
年々、体の機能は衰えてくるが年をとると出来ることも増えてくる。
これまでの経験値が自分を支えるから、ここから先の危険を予測して回避する能力が身についている。
車の免許を取ったばかりの頃、車線変更と右折で何度かヒヤッとしたことがある。あの頃は自分の車が進路変更をすることで生む危険を充分に予測できず、今だったら絶対にしないだろう判断ミスをよくしていた。
毎日の生活も同じである。失敗を避けるため、やらなければならないこと、やってはならないことを私は前より知っている。失敗し落ち込むことを、出来る限り回避して生きていきたいと思っている。だからこそ、かつての失敗を忘れないようにしたいと思う。
でも、その危険を回避する習慣が、自分の気持ちを落ち込ませる要因になることもある。ふとした瞬間に、嫌だった記憶を引き出しイライラして、ネガティブな時間を過ごしているときがある。
人は、良い記憶より、悪い記憶をより強く思い出してしまうらしい。
私を落ち込ませ、私の足を取るような穴が、いたるところにある。それを認識することが必要なのだろう。気分が落ち込んだとき、今自分は、穴の中に落ちてるのだと思うようにする。そうして、その穴を抜け出して、穴をふさぐ良いことを思い出せばいい。あるいは、なにか気分が良くなることをやればいい。
そう思って毎年「よいこと日記」を付けようと思い立つのだが、2025年が始まって6日目。まだ、一日しか実践できてない。今年こそは継続させるつもりではいる。