本たちの時間


貸した本が戻ってこないことがある。
たまに、貸したことすら忘れて、さんざん探した後で「誰かに貸したのかもしれない」と思い至ることもある。
意図せず、私の手から離れて行った本たち。

又吉直樹・ヨシタケシンスケ『その本は』を読み終えた。

読んでいるあいだ、これまで自分のもとを離れていった本たちのことを思い出していた。

貸したまま帰ってこなかった本と 同じ本を買い直しても、それは“あの本”とは違う。 紙も内容も同じだけれど、それは確かに別の存在だと思う。だって “あの本はあの本でしかない”のだから。

その本たちは私の手を離れた瞬間から、もう別の時間を生き始める。 私の物語の登場人物ではなくなり、どこか別の場所で、別の誰かの時間の中で、 それぞれの続き生きていく。

『その本は』の面白さは、物語らしい物語がないのに、 説明だけで物語が立ち上がってくるところにある。

本の特徴を語る。 本のあり方を語る。 本と人との距離を語る。

それだけなのに、読んでいる側は「その本」という存在の輪郭を追いかけてしまう。 説明が積み重なることで、まるで主人公の内面が少しずつ明らかになるように、 “その本”の姿が立ち上がってくる。

この世界には、読まれることなく存在している本がどれくらいあるのだろう。

図書館で古い本を借りたのに、貸出カードがまっさらで、 「私が最初の読者だった」という経験が何度かある。 そんな本を開くとき、 長いあいだ閉じ込められていた時間が、ふっと外に出てくるような気配がある。

紙の乾いた匂い。 誰にも触れられなかったページの張り。 静かに積もった“読まれなかった年月”。

それらが、私の指先の動きに合わせて、ゆっくりと呼吸を再開する。 読まれなかった時間もまた、その本の物語の一部なのだと思う。

私のもとを離れていった本たちは、誰かの部屋の棚で静かに息をしているかもしれない。 誰かの人生のある瞬間を支えているかもしれない。 あるいは、誰にも読まれないまま、別の静けさを生きているかもしれない。

どんな形であれ、 私の手を離れた本たちは、私の知らないところで、 それぞれの時間を続けているのだ。