今日はせんべいだった。子どもの頃から馴染みのあるそれを久しぶりに手に取る。小分けされた袋の一つを手に持った瞬間に、違和感があった。これって、こんなに小さかったっけ?
そう思うことが増えた。お菓子だけではない。小麦粉、ソーセージ、海苔、缶詰。いろんなものがいつの間にか小さくなっている。
小さくなっただけじゃない。高くもなった。そして、少なくもなった。商品棚に商品がない。そんなことが増えた。米が買えないときがくるなんて、この前まで思いもしなかった。じわじわと何かが変わりつつある、そんな実感がある。
でも、子どもだった頃を思い返せば、今みたいに色んなお店も商品もなく品数も少なかった。お茶や水のペットボトルが売られ始めた時の違和感を今も覚えている。家で簡単に準備できるものを、いったい誰が買うのだろうかと思っていた。今の私は、出先で喉が渇くと、お茶か水のペットボトルを何も考えずに買っている。インスタント食品も、冷凍食品も、あの当時はほとんどなかった。いつの間にか、出来合いのものがたくさん商品棚に並ぶのが当たり前になった。
なかったものができるのに私はすぐに慣れたけれど、あるものがなくなるのは不安で仕方がない。
食べることは生きることの基本だ。基本なのに、私の生活は消費することが中心で、そのほとんどを生産していない。庭にある植えっぱなしの木で果実は採れるけれど、それも一年の内でほんのわずかの期間だ。小さな畑はあるけれど、苗や種は買わなければ何も作れない。種で勝手に増えて毎年とれるのはシソくらいだ。
今はまだ、お店に行けばなんでも買うことができる。でも、はたしてこのままでいいのだろうか。私も何か生まなければならないのではないか。そんなことを考え始めている。
田舎で育ったから、田畑も畜産も身近に接してきた。でも、田舎に住んでいるだけで、我が家はサラリーで生活していた。そのため農業の経験はない。おじさんの牛舎の手伝いで子ウシにミルクをあげたり、稲刈りしたり、梅ちぎりやタケノコ堀や山菜取りはしていたけれど、自分ひとりで何かを生産したことはない。自分の経験の乏しさを思うと、すこし不安になる。何かを生産できる人になりたい。
この短編集に出てくる女性たちは、皆生産する側の人たちだ。それぞれの土地で、何かの生産に携わっていたり、携わろうとしていたりする。
一つ一つの物語が味わい深くて、一遍を読み終わってすぐ次を読み始めるのではなく、いったん本を閉じてその余韻を噛みしめてから次の一編を読んでいった。自分が食べる分だけでいい。何かを作るヒトでありたい。そう感じさせる本だった。