袖振り合うも他生の縁
今でいうと肩触れ合うも他生の縁、かもしれない。
横断歩道を渡っているとき、わずかによそ見をしたために、すれ違った人と肩がぶつかった。
「すみません」と言ったが、相手は気にする様子もなく、そのまま歩き去っていく。
中年の男性だった。
「当たり屋」という言葉が頭によぎる。
人込みは苦手だ。いや、知らない人が苦手だと思う。
瀬戸内寂聴『奇縁まんだら終わり』を読み終えた。
続き物だとは知らずに読み始めたのだけれど、それでもまったく問題なく、一冊の中に濃密な人生の断片が次々と立ち上がってくる。
読んでいて思ったのは、 「著名な人はパワーがある」 という単純だけれど否定できない実感だった。寂聴さんが出会う人も寂聴さんも、色んな人と出会い、その出会いを力にしているように見えた。
瀬戸内寂聴という人が歩んできた人生の密度。 奔放さも、痛みも、愛も、孤独も、すべてを抱えたまま前に進んできた人だからこそ、 彼女の前には「しんとする出会い」「胸が熱くなる出会い」「圧倒される出会い」が次々と訪れたのかもしれない。
瀬戸内寂聴という、まるで物語の外側から来たような人物と、 私も何年か同じ時代を生きていた。
その事実が、妙に胸をしんとさせる。
歴史上の人物のように語られる人が、 実はつい最近まで同じ季節の風を感じ、 同じ社会の揺れの中にいた。 その距離の近さと遠さの同居が、不思議でならない。
寂聴さんの人生は、フィクションよりもフィクションらしい。 けれどその物語性は偶然ではなく、 彼女自身が選び取り、引き受けてきたものだ。
圧倒的な人生を歩んだ人が、 私と同じ時間の流れの中に存在していた。
そのことを思うと、 時間が急に立体的になり、 自分の人生の輪郭まで少しだけ浮かび上がるような気がする。
知り合う人も、そうでない人も、同じ時代を生きることの不思議。 私はあと、どれくらいの人と知り合うのだろう。
