友達は


たとえば、前向きで明るい自分だったら、友だちと密に連絡を取り合い、出かけたりしていたのかもしれない。
そんな風に考えることがある。
欠陥だらけの自分のことを反省するときなんかに。

益田ミリ『ミウラさんの友達』を読んだ。

読み始める前は、こんなに心に残るとは思っていなかったのに、ページを閉じたあと、胸の奥にあたたかな余韻が残った。
多幸感と、少しのハラハラと、胸きゅんが同居している、不思議な読後感だった。

ミウラさんを始めとして、登場人物たちは互いを尊重しながら、必要以上に踏み込まない距離感で生きている。 誰かの生活に土足で入らない。 でも、完全に離れているわけでもない。 その“そっと寄り添う”感じが、とても心地よかった。

大人になってから、友達と話すとき「この話をしていいだろうか」と考えてしまうことが増えた。
相手の状況、自分の状況、生活の違い──そういうものが気になって、気楽に話すことが難しくなる。
私の些細な発言が、相手を簡単に傷つけてしまうかもしれないことを、大人になった私は知っているからだ。

若い頃のように、ただ思ったことをそのまま言うわけにはいかない。 相手の世界を尊重しようとすれば、どうしても言葉が慎重になる。

ミウラさんの「ロボットの友達」には、最初ぎょっとさせられた。でも、読み進めるうちに自然と受け入れることができていた。 気を遣わせない、沈黙が気まずくない、期待しすぎない。 そんな関係が、今の自分には少し羨ましくもあるからだろう。

ミウラさんとカジさんの関係も良かった。 劇的な出来事は起きないのに、すれ違いながらも少しずつ距離が縮まっていく二人。 どちらも不器用で、どちらも自分の生活を大切にしていて、うまくいかないことを抱えながらも、自分をちゃんと持っている。

完璧じゃないふたりが、完璧じゃないまま寄り添おうとする姿は、大人の恋そのものだと思った。 音を立てずに進んでいく関係のほうが、むしろ現実に近くて、胸に残る。

「友達ロボット、100万円で売られていたら欲しいかも」と思う。単純に“持ったことがないから”という理由で。でも、どうせなら掃除や洗濯をしてくれたらいいかな。でも、そうしたら、それはもう友達ではないのかな。

ああでも、私たちはすでにそれを手に入れているのかもしれない。「生成AI」が友達の機能を請け負っているところがある。

AIは家事はできないけれど、 気を遣わせない、 沈黙を気まずくしない、 こちらのペースを乱さない、 そんな“余白のある関係”をつくることはできる。

それはロボットの友達と似ている。
現実の人とどうかかわるか。
生成AIが活用される今、その転換期に立っている気がする。