冒険はできないけれど


子どもの頃、私の遊び場のひとつは誰のものかも分からない野山だった。人口が少ない場所だったから、メインストリートから少し横道に入れば、すぐにそこは誰にも見つからない秘密の場所になる。飼い犬だったトラを連れ、落ち葉が敷き詰められた道なき道を当てもなく走り回る。春夏秋冬、そうやって遊んでいたはずだが、記憶に残る野山の景色は枯葉の積もった初冬の景色だ。走ると落ち葉が音を立て足が落葉に包まれる。そんなふうに印象的だったから、特に記憶に残っているのかもしれない。

山の中でできる遊びは多くはなく、斜面を滑り降りたり、雨水の溜まった水たまりに棒を突っ込んでみたり、そんなことくらいしかしていなかった。それでも、どこにいるのかもよく分からない山の中から、見慣れた道に戻ってくるその瞬間は、どことなく晴れ晴れとした気持ちになったのを覚えている。あれは、ちいさな冒険だったのかもしれない。

大人になった今、冒険する機会はまず巡ってこない。大人はつまらない先走りをする癖を身につけているから、この土地は私有地だからとか、ここでこんなことをしていては変な人とだと思われるとか、余計な心配が先に立って、冒険の一歩が踏み出せないのだ。まあ、そもそも、子どもの頃に十分自然と戯れたから、蚊とか汚れとか、疲れとか、できたら避けて生きていきたい気持ちが大きい。

もう自分は冒険することがないことが分かっているからか、人の介入がほぼない無人島へ踏み込んでいく姿に憧れ半分、興味半分であっという間に読み終わってしまった。

文章が愉快であることもあるが、それぞれのページに付されたぱらぱらマンガが、私の奥底にある子どもごころをくすぐる。ニヤニヤしながら読んでいたら、思わぬところで、思わぬ人が登場していることに気づき、読書ってやっぱり面白いな、知識は単純に自分を楽しませるためにあるんだなと、しみじみとさせられた。(思わぬ人はチバさんでした。恐らく、敬愛する歌人と同姓同名のチバさん)

研究者はラボにこもり、色白で不健康なイメージだった。間違いだらけの先入観。全く真逆の研究者たちにたくさんのパワーをもらうことができた。