価値観のアップデート


コミュニケーションを指南するある本を読み終えて、いくつかの箇所に引っかかりが残った。

ひとつは、ムダ話の大切さを示す具体例に、「ムダ話の代表格は女子会」「ガールズトークのような“無意味な会話”」あがっていたことだ。
男性である著者が、ガールズトーク及び女子会を持ち上げるかのように書き記してはいた。

この記述を見た瞬間、モヤッとしたものが胸の中に広がった。

発行が2015年の本だから、時代の風潮を考慮しないといけないのは分かっている。当時の空気の中ではこうした言い回しが“軽いノリ”として許容されていたのかもしれない。それでも、女性の会話を「無意味」と位置づける価値観が、こうして本の形で残ってしまうことに、やるせなさを覚えた。

「女子会はムダ話の代表格」。
そう捉える考え方の根底にあるのは、男性の会話が意味のあるものであり、女性の会話は価値の低いものであるという構図だ。こういう構図を軽いノリで使うことが許される。そんな世の中だから、女性蔑視の考え方が長く蔓延ってきたのだろう。

さらに、「会話のとっかかりに『髪切った?』と言うのもおすすめ」という一文があり、そこにも時代の風潮を強く感じた。

外見への不用意な言及はセクハラとされることが多い。当然だ。相手の外見に触れることは、相手の身体に踏み込む行為なのだから。
それなのに、ほんの10年ほど前は無配慮なセリフが“気さくな雑談”として紹介されていたのかと、驚かされた。

10年。

その月日が短いのか長いのか、長く生きてくると判然としない。
人は気づかないうちに時代の価値観に染まり、その枠組みの中で思考し、判断している。
そのことを、気づかせてくれるのに10年は十分な時間であるようだ。

コミュニケーションの技法は、時代の倫理観やジェンダー観に強く影響される。
だからこそ、コミュニケーションを指南する本は“新しさ”が欠かせない。古い価値観のまま実践すれば、本人に悪意がなくても、相手を傷つけたり、時代遅れの偏見を再生産したりしてしまう危険がある。
「当時は普通だった」ことが、いまの基準では不適切になる。
そのギャップに気づけるかどうかが、思考の自由度を左右する。

本を読むという行為は、内容を吸収するだけではなく、
その本が書かれた“時代”と自分の“現在”を照らし合わせる作業でもある。
そして、そこに生まれる違和感こそが、私の感受性がアップデートされてきた証なのだ。