育児に一段落が付いたころ、ランニングを始めた。
中学生のころは陸上長距離部だったから、走る感覚は残っていた。だが、当然走り始めは体が重すぎて、1キロ走るのもやっとだった。
せっかく思い立ったのだからと、週に2、3回継続して走り続けて、だんだんと走れる距離が延びていった。
走ることが習慣になったころ、体調が良くなっていることに気付いた。
ランニングを習慣化する前は、起きて家事をし、家族を送り出した後、立ち上がれないほどぐったりしていた。しばらくダイニングの机でうつ伏していないと過ごせなかった。まだ下の子も小さく、子どもの世話をしながら晴れない気持ちで一日を何とか終わらせる。そしてまた、体調のすぐれない朝を迎える日々が続いていた。
でも、それがいつの間にかなくなっていたのだ。ランニングのおかげだとしか思えない。
運動を習慣化する大切さが身に染みた。
5キロを当たり前に走れるようになってから、ふと、フルマラソンの大会に出てみようと思うようになった。
走るからにはタイムも意識したい。4時間台で完走できるように、本を読み練習を重ねていった。
練習のかいあって、2回フルマラソンを走り、4時間台でなんとか完走する。しかし、とにかくフルは辛かった。2回目に完走したときは「自分で自分を褒めてあげたい」とかつての名台詞が自然と湧き出てきたほど辛かった。
それでも、せっかく走れるようになったのだからと、2日に1回、10キロ走る日々が続いていた。部活で走っていたころは、最長5キロしか走ったことがなかったから、大人になってこんなに走れるようになったことに驚く。「継続は力なり」なのである。
そんな日々を送る中で、ふと気づいたことがある。
「なんだか、集中力が高まっている。」と。
10キロ走るのはだいたい1時間ほどかかる。その間、さほど見るところもない田舎道を一人きりでもくもくと走る。ぼーっとしているといえば、ぼーっとしてはいるのだが、走ることだけに集中する時間だ。そこで長時間集中する練習ができたのかもしれない。人間の集中力は15分ほどしか継続しないと言われているから、それと比較するとかなりの時間だ。
当然、走ることで体力もついているから、集中する作業にさっと取りかかれる気力が養われるのだろう。
その上、走る時間を捻出するために、仕事の効率も家事の効率も上げなければならないという事情もあった。どちらも集中して取り組まないと、さっと終わらせることができない。そんな日々が、自分の集中力を高めたのかもしれなかった。
この集中力が、10代の頃の自分にあったら、あれもこれも、もっと成果を挙げられていたのに。10代の頃の自分は、ほとんど集中力がなかった。
でも、それ、10代だから仕方がなかったのかも。
非認知能力については最近目にすることが多くなっている。
「これからの時代はIQではなくEQだ」なんて言われ方をされることがある。
もちろん、どっちも高かったらベストなんだけど、生まれもった素質であるIQはどうすることもできない。
それにたいして非認知能力は、工夫次第で高めることができるのだ。
やらなければならないことができなくて、モヤモヤしている10代の子。
やらなければならないことが出来ない子を見て、モヤモヤしている大人。
そんな人たちにおススメ。
新書だけれど、10代向けに書かれているのでとても読みやすい。
ところで、ランニングは今はもうやっていない。
これにはちゃんとした理由がある。
コロナ禍の一時期、「ランニングもマスクをして!」という風潮があった。ただでさえ走るのはきついのに、マスクをしてなんて走れない。
それをきっかけに走るのを休んだら、もう本当に走れなくなったのだ。今、走ろうとすると、すぐにふくらはぎを痛めてしまう。年齢のせいだろうか。
たぶん、歩くことから再開するべきなのだろうが、田舎道を一人で散歩するのはランニングよりハードルが高い気がするのはなぜなのだろう。