一番身近で不可解な存在


我が家は井戸水を使っている。
だから雨が降らない日が続くけば水量が心配になるが、雨続きの日々はやはり憂鬱になる。
ジメジメするのが嫌なのは、健康を保つうえで必要な感覚なのだろうけど、鬱々とする気分は何とかしたいと思う。

築山節『脳と気持ちの整理術』を読んだ。

まず心に残ったのは、脳がやる気を失いやすいという事実だった。
やる気が続かないのは性格の弱さではなく、脳の仕様だという。この前提を置くと、日々のやる気のなさを容認でき、その上でどうしようかと考える余地が生まれる。

脳のクセを知っているかどうかで、日々の感じ方は大きく違う。
自分の身体は自分のものなのに、思うほどよくわかっていない。 その“わからなさ”を受け入れることが、自分との付き合い方を教えてくれる。

本の中で興味深かったのは、 嫌なことを一つなくすと、次の嫌なことが発生するという指摘だった。

嫌なことが連鎖するのは、性格の問題ではなく、脳の仕様だという事実。 仕様なら、戦う必要はない。 ただ、そういう仕組みの中で生きるだけだ。

身体を完全に理解できると思うと、 うまくいかないときに自分を責めてしまう。

でも身体を“わからないもの”として扱うと、 反応を観察できるようになるだろう。

「今日は人混みがいつもよりつらい」

「この匂いに身体が反応している」

「気圧で集中力が落ちている」

こうした揺れを、性格ではなく“身体の仕様”として受け取れる。 すると、世界との距離の取り方が少しうまくなる。

身体を「わからないもの」として扱うことは、 自分の中に“もうひとつの他者”を住まわせることに近い。

自分の身体の“他者性”を認めると、 支配ではなく共存へ、 コントロールではなく観察へ、 否定ではなく対話へと態度が変えられる。

そうなれば、自分の他者性を尊重し、 脳や身体の仕様に振り回されるのではなく、 その揺れの中でうまく立ち回ることのできる自分を見つけることができるだろう。