もち『海の賢者タコとくらす』を読み終える。
タコの知性と好奇心の旺盛さに驚かされた。
寿命が一年ほどしかないのに、人間に興味を示し、ハイタッチをしたり、餌よりも人の手に触れたがったり、じっとこちらを観察したりするタコ。
その行動のひとつひとつを知ると、「生き物の時間感覚」や「知性のあり方」を考えたくなってくる。
寿命が短い生き物は、子孫を残すことにほとんどのエネルギーを使うはずだと、私はどこかで思い込んでいた。生存に関係ない余分なものに、目を向ける余裕などないはずだと。
しかしタコは、その短い時間の中で、驚くほど豊かな好奇心を発揮する。人間の手、道具、光、音、他の生き物——あらゆるものに触れ、確かめ、理解しようとする。その姿は、まるで「世界を味わい尽くそうとしている」ように見える。
タコの好奇心は、単なる遊びではなく、生存戦略としての高速学習の一部だと言われている。孵化した瞬間から自分で生きる必要があり、親から学ぶ機会もない。だからこそ、触って確かめ、観察し、記憶し、判断する力が極端に発達した、と。
しかし、孵化した瞬間から、自分の力だけで生きていかなければならない生き物は数多くいる。そのなかで、タコはなぜ、突出して高速学習する能力をもち得たのだろう。不思議だ。
飼育下では餌の心配も捕食者の恐怖もないため、その知性が“余る”生き物がいる。鳥がその代表例だろう。この本に出てくるタコたちも、飼育された結果、有り余った知性が、人間との交流を可能にしている部分もあるのかもしれない。
タコの目の構造にも驚かされた。
タコには盲点がないのだ。
人間の網膜とは逆の構造をしていて、視神経が光を遮らないため、視界に穴が生まれない。四角い瞳孔は偏光を読み取り、海の揺らぎや生き物の動きを精密に捉える。タコは世界を“連続した映像”として見ている。補完の必要がない、滑らかな世界だ。
「世界の中心はタコ」そんな世界がタコが暮らす海に存在しているようだ。
人間の視界は盲点を脳が埋めている。見えているつもりで、実は見えていない部分がある。けれどタコは、世界の細部をそのまま受け取り、身体全体で処理している。触覚で味わい、腕で判断し、目で偏光を読み、世界を丸ごと抱え込むように生きている。
ヒトが見る世界。タコの見る世界。世界の見え方は多様だ。生き物ごとに、世界はまったく違う形で立ち上がっている。タコの見ている世界を感じることができたら、ヒトは何を思うのだろう。
タコと人間の交流は、目的が違うのに成立してしまう不思議な関係だ。タコは学習のために触れ、人間はそこに心の通い合いを感じる。そのズレが、面白く、あたたかい。
短い寿命の中で世界に触れようとするタコの姿は、人間の「分かり合いたい」という願いとうまく響き合っている。
タコの「知りたい」とヒトの「分かり合いたい」は、根っこのところでつながっているのだなと思う。
