12月も終わりに近づいてきた。家じゅうの窓を拭かねばと思う。
窓拭きには、曇りが取れて景色がはっきりしていく達成感がある。けれど拭き残しがないように仕上げるのは、かなり大変だ。いろいろ試して、今はマイクロファイバーのさらに細かい布、二枚使いに落ち着いている。
湿らせた布で汚れをとり、乾いた布で拭き上げる。
ピカピカになっていく窓を見ながら、心の曇りもこうやって磨けたらいいのにと思う。
『やさしいがつづかない』を読み終えた。
生活の途中で本を読むと、日常の風景と本の言葉が静かに混ざり合う。その感じが面白いと思う。
「やさしくありたいのに、やさしくできない自分」をずっと責めてきたことに気づかされた。誰かにやさしくしたいと思うほど、できなかった瞬間が胸に残る。疲れているとき、余裕がないとき、相手のことが許せないとき。まず自分を守ろうとしてしまう。そんな自分を「利己的だ」と感じて落ち込むこともある。
でもこの本を読みながら、利他的でいられない瞬間があるのは、人間として当たり前のことなのだと思えた。やさしさは性格ではなく“状態”で、ずっと続けるのは難しい。そのことを認識しておくことが大切だという。
子どもにモヤモヤと腹が立つ瞬間がある。そんなときは大概、私は子どもをコントロールできると思い込んでいる。自分とは全くの別の存在の子どもを、自分と同じように動くべきだと考えてしまっているときがある。
相手にこうしてほしい、こう反応してほしいという期待が湧くと、やさしさを維持するのがむずかしくなる。そんなとき、「あ、いま私は相手を動かそうとしている」と静かに認めるだけで、気持ちとの距離が生まれる。距離が生まれると、自分の心の余白ができる。相手の行動を理解しようとする気持ちが動く。
余白は余裕だ。余裕を持つには生活を整えることが大切である。睡眠、食事、働き方、一人の時間。どれかが欠けると、心の余裕はすぐに削られてしまう。働きすぎないようにすることも、静かな時間を確保することも、誰かのためというより、まず自分のためのやさしさだ。自分を守る行為が、結果的に他者へのやさしさを持続させる力になる。
やさしくできない自分を自覚することは、やさしさの終わりではなく、始まりだ。やさしくできなかった理由に耳を澄ませ、湧き上がった感情を否定せずに眺める。そして、やさしいは難しいのだと思い出せばいい。その上で生活を整え、心に余白をつくるために自分を労わる工夫をすればいい。
それでも、やさしくできないときもあるだろう。
でも、やさしさは続かなくても大丈夫なのだ。続かない自分を許すことから、また新しいやさしさが始まる。
