私は買い物が苦手だ。知らない人がたくさんいるお店の中で、誰にも迷惑をかけず、誰からも嫌な思いをさせられずに、買い物カゴに買いたいものを入れていくのが大変だと思う。お店の人にお金を払うときに、相手に嫌な思いをさせずに、次の人の迷惑にならないように、支払いを済ませられるかドキドキする。買い物を終え、車に乗り込むと、顔と肩のこわばりを感じて、毎回ため息をついてしまう。そして、自分はどうして買い物くらいでこんなに疲れるのだろうかと、自分に呆れてしまうのだ。
私は誰かと一対一で話すのが苦手だ。相手が嫌な気持ちにならないように、相手が自分に求めているだろう答えを、自分がきちんと言えるかどうか気を張って話すために疲れてしまう。相手が自分の本当の考えを間違って解釈するのではないか、自分を嫌な人間だと思ってしまうのではないかと思ってひどく緊張する。相手との会話が終わった後、あの時のあの発言はやめておくべきだったと、思い返すたびに後悔する。そしてその相手が、あまり親しくない人はもちろんのこと、毎日顔を合わせる親や兄弟、自分の子どもだったりするのを不思議に思う。そんな自分を出来損ないの大人だと感じてしまうことがある。
私はだれかと深く関わるのが苦手だ。「友達」として頻繁に連絡する人が一人もいない。悩みを相談する決まった相手がいない。どこかへ誰かと一緒に行きたいと思う相手がいない。家へ遊びに来てほしいと思う人がいない。自分の家は、ひどくプライベートな空間だから、誰かに分け入られるのを嫌だと思う。電話で誰かと話すことさえ億劫だ。メールはそこまで苦手じゃないが、相手とのターンが長く続く場合少し疎ましくなる。誰かと出かける機会があると、そのときは精一杯楽しんでいるように振る舞えるが、帰ってきて一人になると恐ろしく疲れていることに気付く。もう出かけたくないと思う。
そしてそんな自分を仕方ないとも思っている。苦手なことは苦手であって、どうしようもないことなのだと。どうにかその自分と付き合って、これまで立派に生きてきたじゃないかと。
私は人付き合いが苦手なだけであって、できない人間ではない。人とたくさん関わる仕事をきちんとこなし、人がやりたくない役割も引き受けてやってきた。おそらく、私以外の人から見たら、私はすごく社会性があり社交的な人間に見えているだろうと思う。
そんな人、意外とたくさんいませんか。
この本はそんな「生きにくさ」を抱える人が共感できる本だ。
おススメ対象 中学生~大人
この本の著者は、毎日のように「死にたい」と思う発作と生きてきた。そんな「生きにくさ」を抱えた著者が、2年間のカウンセリングを通して自分と向き合っていく。
著者の2年間の記録を読み進めていくうちに、いつの間にか自分のこれまでのことに思いを馳せていた。あまり言葉にしてこなかったけれど、「ああ、私も『生きにくい』と感じてきた人間だ」としっかりと気づく。
その「生きにくさ」を私はいろんな方法で乗り越えてきたのだな、と知る。
「自立は、依存先を増やすこと。希望は、絶望を分かちあうこと」
『死ぬまで生きる日記』土門蘭
その言葉を読んで河合隼雄さんの本を思い出した。
この本には「自立は依存によって裏付けられている」章がある。親になる前にこれを読んでいたことで、私は私と子どもたちの関係を破綻させずに築くことができたのではないかと思い至った。
でも読んだのはずいぶんと前だ。内容もすっかり忘れてしまっている。
今一度読み返してみよう。新たな気づきがあるかもしれない。