たくさんの普通


「激レアさんを連れてきた」というテレビ番組が好きだった。毎回、「激レア」な生き方や体験をしていた人が紹介される番組で、「普通」の生活とは距離のある人たちが登場する。普通ではない人たちを、「私にはマネできないなぁ、すごいなぁ」と思いながら観ていた。今度はどんな人が出てくるのだろうと、毎週楽しみにしていたのに、番組は終了してしまった。

津村記久子『とにかくうちへ帰ります』では、「普通」という枠組みに括れない人たちの日常が切り抜かれていく。



誰かひとりの語りを通して淡々と進んでいく物語で、劇的な事件が起こるわけではない。けれど、ページをめくる手が止まらない。

登場する働く人たちは、皆、どこか変わっている。あんまりにも変わっている人たちばかりが出てくるから、「この職場は特異な場所だな」と思うけれど、読み進めるうちに、その感覚が少しずつ揺らいでいった。

よく考えてみれば、「普通じゃない」はこの世にありふれている。これまで、いくつかの職場を体験したが、どこにだって「普通じゃない人」はいた。
でもそれは、自分とくらべた「普通じゃない人」だった。

人は皆、誰もがそれぞれ違う時間を生きている。その中で、その人独自の「普通」を作り上げていく。その積み重ねが、他の人からみたら“変わっている”という形で表に出てくるだけなのだ。

そのことを、肌感覚で理解できるようになったからだろう、歳を重ね、「普通」がさほど気にならなくなってきた。
生きてきた時間が長くなるほど、人と違う時間を過ごす割合も増える。だから、誰とも同じではいられない。自分とは違う価値観を持つ人と接しても、「この人は、この人なんだな」と思うようになった。
違っていることこそ自然で、同じであることの方がよほど特別だ。

物語に登場する「普通じゃない」けれど、淡々と生きている人たち。大きな事件が何も起こらない日常。いや、事件なんてめったに起こらないものだ。劇的な生活を送り続ける人の方が少ない。それに気づいたとき、その「淡々」は、むしろ人間のごく普通の姿なのだと思い直すことになる。
普通ではないひとたちのありふれた日常。それはそれで、ひとつの普通な姿なのである。

津村作品は、そんな“淡々”の中に潜む揺れや、言葉にならない違和感、ささやかな優しさをそっと掬い上げてくれる。
読後に残る静かな余韻が、今の普通ではない自分を優しく肯定してくれた。